掲載誌:Zenodo (CERN European Organization for Nuclear Research)

ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: DataCite

研究の目的:飲み水以外のヒ素の入り口に目を向ける

バングラデシュでは、1970年代以降に感染症対策として浅い井戸(管井戸)が大量に掘られました。その結果、農村部の多くの人が、地中から天然のヒ素が溶け出した地下水に頼るようになりました。論文が引用する全国調査では、浅い井戸の約46%が世界保健機関(WHO)の暫定指針値である1リットルあたり10マイクログラムを超え、約27%がバングラデシュの飲料水基準である50マイクログラムを超えていました。

この問題は、これまで主に「飲み水の問題」として対策されてきました。著者らは、健康影響の大きい無機ヒ素が、米そのものや米を炊く水を通じても家庭に入り込む点に注目しました。研究チームは、飲み水、炊飯で米に吸い込まれる水、米粒に含まれる無機ヒ素の三つの経路をまとめて扱う推計モデルを作りました。そのうえで、現実的な対策がどれだけ摂取量を減らせるかを比べることを目的としました。

何を調べたか:確率的なモデルで五つの対策を比較

モデルの対象は、浅い私有井戸を主な水源とする稲作地域の農村に住む成人です。井戸水のヒ素濃度は、全国調査の超過割合を再現するよう設定しました。米のヒ素濃度、飲む水や食べる米の量、体重、炊飯で米に残る水の量なども、ばらつきを持つ値として与えました。これらの値をランダムに組み合わせる計算を各条件で10万回繰り返し、人々の摂取量の分布を推計しました。このような手法はモンテカルロ・シミュレーションと呼ばれます。野菜など他の食品、皮膚や呼吸からの摂取はモデルに含めていません。

比べた条件は五つです。対策なし(S0)、飲み水だけを低ヒ素の水源(深井戸など)に切り替える(S1)、飲み水と炊飯の水の両方を切り替える(S2)、家庭で鉄を使ったろ過器を使う(S3)、そしてS2に加えて米を研ぎ、低ヒ素の水をたっぷり使って炊く方法を取り入れる(S4)です。評価には、1日・体重1キログラムあたりの平均摂取量を使いました。あわせて、国際的な専門家委員会(JECFA)が健康影響の目安として示した値を超える人の割合なども調べました。米国環境保護庁(EPA)が2025年に改定した毒性の評価値を使うと結果の見え方がどう変わるかも検討しています。

主な結果:炊飯の水の見落としと、米が残す摂取の「底」

対策なしの状態(S0)では、平均摂取量は1日・体重1キログラムあたり5.15マイクログラムでした。内訳は飲み水が69%、炊飯の水が14%、米粒が17%です。ただし、飲み水が主な経路になるのは、家庭の水のヒ素濃度がおよそ1リットルあたり16.5マイクログラムを超える場合に限られました。この濃度より低い水では、米と炊飯の水という食事由来の経路の方が大きくなりました。著者らは、この境目がWHO指針値と国の基準のあいだにある点を指摘しています。つまり、国の基準を満たす井戸を使う家庭でも、ヒ素の大半を水から受け取っている可能性があります。また、井戸水の濃度が約65マイクログラムを超える家庭では、炊飯の水から入るヒ素が米粒そのものに含まれる量を上回りました。

対策の効果を見ると、飲み水だけを切り替えるS1では平均摂取量が65%減りました。しかし、残った摂取量の40%は炊飯の水が占めていました。特に井戸水が50マイクログラムを超える家庭では、炊飯の水も切り替えることで、S1の後に残る摂取量がさらに約65%減りました。飲み水と炊飯の水の両方を切り替えるS2では、平均摂取量が79%減りました。JECFAの目安を超える人の割合も、約35%から0.9%まで下がりました。

家庭用ろ過器(S3)は、典型的な家庭(中央値)ではS2と同程度の効果でした。一方、平均値や上位5%の高い摂取では、S2より劣りました。ろ過器は一定の割合でヒ素を取り除くため、元の水が非常に汚れている井戸ほど、ろ過後にも多くのヒ素が残るからです。その結果、目安を超える人がS3では5.4%残りました(S2では0.9%)。

最も効果が大きかったのは、安全な水への切り替えと炊き方の工夫を組み合わせたS4で、平均摂取量は85%減りました。それでも、安全な水に切り替えた後には、1日・体重1キログラムあたりおよそ0.7〜1.1マイクログラムの摂取が「底」のように残りました。その約7〜8割は米粒に由来します。この量は従来の参照用量(健康上の目安とされる摂取量)を上回り、2025年の改定値と比べると約10倍に当たります。水の対策を行った後の摂取量を主に左右するのは、米粒のヒ素濃度と米を食べる量でした。

2025年の改定値を使うと、推計されるがんのリスクはおよそ20倍、健康影響の指標はおよそ5倍に高まりました。ただし、著者らは改定後のがんリスクの値は上限側の目安にとどまり、実際の発生数の予測として読むべきではないと注意しています。また、どの指標も同じ摂取量から計算されるため、改定によって対策の優劣の順位は変わりませんでした。

研究が示す意味

この研究は、ヒ素対策を「飲み水の安全」だけで考えると、炊飯の水と米から入る分を見落としてしまうことをモデルで示しました。著者らは、飲み水と炊飯の水の両方に安全な水を確保すること、特に汚染の激しい井戸ではろ過よりも水源の切り替えを優先することを提言しています。さらに、水と食料の両面からの総合的な対策へ考え方を広げる必要があると論じています。なお、対策なしの条件は全国調査当時の状態を基準として想定したもので、現在の状況をそのまま表すものではありません。また、モデルの対象は成人に限られています。

原著論文の著者・所属:North American Academic Research

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):North American Academic Research. Beyond the tube well: probabilistic assessment of combined drinking-water, cooking-water and rice-borne arsenic exposure in rural Bangladesh and its implications for mitigation design. Zenodo (CERN European Organization for Nuclear Research) 2026-10-31. DOI: 10.5281/zenodo.23843803. 原著ライセンス:CC BY.