この研究は、アイルランドの研究機関の研究論文です。

掲載誌:Biochimie

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

何を明らかにしようとした研究か

セレンは、体にごく少量だけ必要な必須の微量栄養素です。著者らは、このセレンが老化や寿命にどう関わるのかを、これまでに報告されてきた研究成果を幅広く整理してまとめる総説として本稿を執筆しました。

著者らが出発点として示すのは、セレンが「足りなくても、多すぎても悪い」という性質です。論文によれば、成人の適正摂取量は1日あたり70マイクログラム、耐容上限量は1日あたり400マイクログラムとされています。慢性的な不足は、克山病(ケシャン病)と呼ばれる命に関わる心筋の病気と結びついており、これは土壌や水のセレンが少ない一部の地域で見られると説明されています。不足はほかにも、2型糖尿病、不妊、免疫機能の低下、認知機能の低下、前立腺がん、女性の大腸がん、骨格筋の障害、全体的な死亡率の上昇と関連づけられています。逆に摂りすぎるとセレン中毒(セレノーシス)となり、脱毛、爪の損傷、皮膚炎、中枢神経系の障害、さらには死に至ることもあると報告されています。

著者らの狙いは、こうした「両端で害が出る」二相性の作用がなぜ生じるのかを説明する筋道を立て、セレンが老化の仕組みに及ぼす影響を理解する枠組みを提示することにあります。

セレンは体の中でどう働くのか

本稿の整理によれば、セレンが生物学的な働きを発揮する経路は大きく三つに分けられます。第一に、低分子のセレン化合物としての働きです。食事から入るセレンの主な形はセレノメチオニンやセレン酸などで、これらは体内で代謝され、メチル化された揮発性の化合物として呼気から、あるいは水溶性の形やセレノ糖として尿・便から排出されます。

第二に、セレノプロテイン(セレンタンパク質)を通じた働きです。セレンはセレノシステインという「21番目のアミノ酸」の形でタンパク質に組み込まれます。通常なら翻訳を終わらせる合図であるUGAという配列を、特別な仕組みによって読み替えることで挿入され、ヒトでは25種類のセレノプロテインが知られています。セレノシステインはシステインによく似ていますが反応性が高いため、機能の分かっているセレノプロテインの多くは酸化還元反応に関わると説明されています。第三の経路が、セレン原子がシステイン残基に共有結合したセレン結合タンパク質です。

著者らが指摘する重要な点として、体内でセレンが不足したときには、セレノプロテインの間に「優先順位」があることが挙げられます。マウスの遺伝子破壊やヒトの変異の表現型に基づき、原著は必須のものとしてSELENOP、Txnrd1、Txnrd2、GPX4、DIO3の5つを、非必須のものとしてGPX1〜3、DIO1〜2、MSRB1、SELENOPの7つを挙げています。セレンが足りない状況では、必須のセレノプロテインの発現は維持され、非必須のものはDIO1を除いて減少すると報告されています。さらに著者らは、これらの分子の量や働きが、体内のセレン量だけでなく、銅、亜鉛、葉酸、レスベラトロール、ビタミンA、リノール酸類といった他の食事成分や、運動やカロリー制限といった要因によっても左右されることを整理しています。

寿命・老化との関わりについて報告されていること

セレン補充が寿命を延ばすという結果は、出芽酵母、線虫、ショウジョウバエ、マウス、そしてセレン酸(ただし亜セレン酸ではない)を飲み水に加えたラットなど、複数のモデル生物で報告されています。しかし著者らは、ヒトでの寿命への影響については、補充試験ごとに結果が食い違い、一致した見解に至るのが難しい状況だと述べています。

そのばらつきの一因として挙げられているのが、セレンの状態と悪い結果との間に見られる「U字型」の関係です。これは、セレンが少なすぎる場合と多すぎる場合の両方でリスクが高まるという関係を指します。この現象は高齢の犬で最初に報告され、爪で測ったセレンの状態が不足側でも過剰側でも、前立腺の細胞のDNA損傷が最も大きくなりました。ヒトでも、前立腺がん、2型糖尿病、高血圧患者の総死亡・心血管死亡といった文脈でU字型の関係が報告されています。ここで紹介されているのは、あくまで関連の観察であり、因果関係が確定したという主張ではありません。

老化との関連を示す報告もいくつか取り上げられています。ベルリン加齢研究IIでは、DNAのメチル化を指標とした生物学的な老化が、血清セレン、SELENOP、GPX3の低い値と関連していました。横断研究では、セレンの状態が低いことがフレイル(虚弱)と関連していました。一方で、高齢女性を対象とした二重盲検プラセボ対照試験では、セレン補充と筋骨格の健康との間に相関は見られなかったとも紹介されており、結果が一様ではないことが示されています。

個別のタンパク質についても多くの報告が整理されています。血液中でセレンを運ぶ主要なタンパク質であるSELENOPは、ヒトのセレノプロテインの中で唯一、最大10個のセレノシステインを含む点で特異です。ドイツの地域住民7,186人(50〜74歳)を17.3年間追跡したESTHERコホートでは、血清SELENOP濃度と総死亡率との間に逆向きの関連が見られ、最も低い三分位群では最も高い群に比べて総死亡リスクが35%高いと報告されました。また、抗酸化に関わるチオレドキシン還元酵素やグルタチオンペルオキシダーゼの仲間、骨格筋でカルシウムの出入りを調節するSELENONなど、老化に伴う変化と結びつくセレノプロテインが数多く紹介されています。

この総説が示すこと

著者らがまとめた像は、セレンが単純に「多いほど良い」栄養素ではない、というものです。セレンは低分子、セレノプロテイン、セレン結合タンパク質という複数の経路を通じて、酸化ストレス、カルシウム調節、細胞死といった老化に関わる基本的な仕組みに触れており、その効果は限られた濃度の範囲でのみ有益に働きます。

本稿は、そうした多岐にわたる報告を一つの枠組みとして並べ直すことで、セレンと老化の関係を考えるための出発点を提供しようとしたものだと位置づけられています。

著者:William Gerard Pierce(Scientific Advisor at Eli Lilly and Company, Cork, Ireland)、John J. Mackrill(Department of Physiology, School of Medicine, University College Cork, Ireland. Electronic address: [email protected]

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):William Gerard Pierce, John J. Mackrill. Selenium in Aging and Longevity. Biochimie 2026-09-01. DOI: 10.1016/j.biochi.2026.09.002. 原著ライセンス:CC BY.