掲載誌:Journal of soil science and plant nutrition

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

研究の背景と目的

イネは世界の食卓を支える作物で、原著によれば世界の食事エネルギーのおよそ20%を占め、世界人口の半数以上が食べています。一方で気候の変化にともなう水不足は、作物の生育や収量を制限する大きな要因のひとつです。さらに収量が増えても、ヒトの栄養に必要な元素が穀物中で薄まってしまう「希釈効果」と呼ばれる現象も指摘されています。

著者らが注目したのはセレン(Se)です。セレンはヒトや動物に必須の元素で、植物にとっては必須ではないものの、乾燥などのストレスから身を守るはたらきが知られています。作物にセレンなどの目的元素を肥料として与え、可食部の濃度を高める手法は「農学的バイオフォーティフィケーション(作物の栄養強化)」と呼ばれます。

ただし、穀物に含まれる総量が多いことと、実際にヒトが吸収できることは別の話です。調理によってミネラルは食品中のフィチン酸などと結びつき、消化管で溶け出しにくくなることがあります。そこで研究チームは、土壌に施用するセレンの量を変えて、開花期に水不足を受けたイネの生理・生化学・抗酸化の反応を調べるとともに、収穫した米を炊いたときにセレン・鉄(Fe)・マンガン(Mn)・亜鉛(Zn)が消化管でどれだけ溶け出しやすくなるか(バイオアクセシビリティ)を評価することを目的としました。

どのように調べたか

実験はブラジル・ラヴラス連邦大学の温室で、ポット栽培により行われました。鉢に土を5kgずつ詰め、セレン酸ナトリウムの形で土壌にセレンを0、0.2、0.4、0.6、1.0 mg/kgの5水準で与え、これに「通常かん水」と「水不足」の2つの水管理を組み合わせた計10通りを、4反復で比較しています。水不足は、8割以上の株が穂を出した開花期(出芽後43日目)に、かん水を4日間止めることで与えました。

水不足4日目に、葉のガス交換(光合成速度、蒸散速度、気孔コンダクタンス)を測定し、そこから水利用効率も求めています。同じ日に採った葉では、酸化ストレスの指標である過酸化水素と、脂質が傷つけられた程度を示すマロンジアルデヒド(MDA)、および4種類の抗酸化酵素(SOD、APX、CAT、POD)の活性を測定しました。収穫後には地上部と子実のセレンほか各種ミネラル濃度を、質量分析などの機器で定量しています。

消化管での溶け出しやすさは、口・胃・小腸の各段階を試験管内で再現する手法で調べました。ここでは代表として0.6 mg/kg区の米を用い、米粉の状態と、炊いた粒のままの状態を比較しています。炊飯は玄米を精白したうえで洗わず浸けず、米と水を1対3の割合にして水がなくなるまで加熱する、家庭調理に近い条件を採用したと報告されています。

主な報告結果

まず、地上部の乾物重と子実収量は、セレンの施用量にも水管理にも有意な差が出ませんでした。つまり、この条件下では4日間の水不足による収量の落ち込みは見られなかったということです。

ガス交換では、水不足によって光合成速度が有意に低下しました。一方で水利用効率については、0.6 mg/kgのセレン施用区で、水不足の株が通常かん水の株よりおよそ35.30%高い値を示したと報告されています。酸化ストレスの面では、水不足の株で過酸化水素とMDAが高くなりましたが、セレンを0.4および1.0 mg/kg与えた区ではMDAが低下しました。抗酸化酵素では、POD活性が水不足下のセレン施用区(0.2、0.6、1.0 mg/kg)で高まり、セレン無施用のかん水区と比べておよそ26%の増加がみられています。

土壌へのセレン施用によって、葉のセレン濃度は施用量の増加にともなって直線的に増え、子実のセレン濃度も高い施用量で明確に増加しました。著者らは、セレンやその他のミネラルについて、子実で濃度が薄まる希釈効果は認められなかったと述べています。

炊飯の影響では、セレンと他のミネラルで対照的な結果が得られました。セレンの溶け出しやすさは米粉と炊いた粒とで有意な差がなく、全体としておよそ64%という値が報告され、最も多く溶け出したのは小腸の段階でした。これに対して、炊くことで鉄は約41%、マンガンは約69%、亜鉛は約81%も溶け出す割合が下がりました。著者らは、セレンが安定を保つ理由として、イネのセレンが加熱に比較的強い有機の形(セレノメチオニン)で多く存在することを、また鉄・マンガン・亜鉛が下がる理由として、これらがフィチン酸と結合して複合体をつくることを、それぞれ考えられる説明として挙げています。

著者らは、試験した施用量のなかでは0.6 mg/kgが最適であったと結論づけています。安全な範囲での子実のセレン濃度の高まり、MDAの明確な低下、水不足下での水利用効率の向上のバランスが最もよかったためです。同時に著者らは、今回の温室条件で用いた施用量は圃場で通常推奨される量より多く、世界平均の米消費量をあてはめると推定セレン摂取量が推奨値を超える計算になることにも触れ、圃場規模で適用する際には施用量の調整が必要だと述べています。結果は温室で、セレン施用量ひとつと4日間の水不足という限られた条件から得られたものであることも、研究の制約として明示されています。

この研究が示すこと

この研究は、土壌へのセレン施用が、短期間の水不足下でイネの収量を保ちながら酸化ストレスを和らげ、子実のセレン濃度を高めうることを、温室試験という枠組みのなかで示したものです。

そしてもう一つ、栄養の話をするときに「食品に含まれる総量」だけを見ていては足りない、という視点を具体的な数字で提示しました。同じ一杯のご飯のなかでも、炊くという日常の行為を経たあとに残る元素と大きく減る元素があり、セレンと鉄・マンガン・亜鉛でその振る舞いがはっきり分かれたのです。作物を栄養豊かにする取り組みを評価するには、畑から食卓までを通して見る必要があることを、この結果は静かに伝えています。

著者:Leônidas Canuto dos Santos、G. Martins、E. Borghi、Pedro Antônio Namorato Benevenute、Daniel Venâncio de Paula Correia、Maria Manuela Silva、Lívia Botelho、Paulo Eduardo Ribeiro Marchiori、Fábio Aurélio Dias Martins、Luiz Roberto Guimarães Guilherme、Guilherme Lopes

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Leônidas Canuto dos Santos, G. Martins, E. Borghi, et al. Selenium Biofortification in Rice Under Water Deficit: Plant Physiology and Post-Cooking Mineral Bioaccessibility. Journal of soil science and plant nutrition 2026-09-10. DOI: 10.1007/s42729-026-03548-3. 原著ライセンス:CC BY.