掲載誌:Pringgitan

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

研究の目的

アップセリング(upselling)とは、飲食やホテルなどのホスピタリティ産業で用いられる販売手法で、客のニーズや好みに合わせて、より価格の高いメニューや追加の一品をすすめることを指します。著者らは、これが単なる売り込みではなく、客に合った提案を通じて食事体験そのものを高めうる接客の一部でもあると位置づけています。

研究の舞台は、インドネシア・東ヌサトゥンガラ州のラブアンバジョです。論文によれば、同地はインドネシア政府が定める「スーパー優先観光地(DPSP)」の一つで、飲食店の数は2015年の33軒から2025年には118軒へと増えたと報告されています。競争が激しくなるなか、料理の質だけでなく接客を通じた売上向上も各店に求められている、というのが著者らの問題意識です。

そこで研究チームは、ラブアンバジョの飲食店でアップセリングが実際にどのように行われているかを記述し、その成否を左右する要因を明らかにすることを目的としました。著者らは、現場では「押しつけがましいと思われるのが不安で提案しづらい」と感じる従業員がいることや、商品知識・説得的な会話の技術が十分でない場合があることを、研究の出発点として挙げています。

調べ方

研究チームは記述的な質的研究の手法をとりました。数値で関係の強さを測る調査ではなく、当事者の語りと現場の様子から実態を描き出すやり方です。対象は、Googleレビューで5点満点中およそ4点の評価を得ていたラブアンバジョの飲食店8軒で、地元料理の店からイタリア料理、シーフード、日本風のフュージョンまで業態はさまざまでした。

データは面接(インタビュー)、観察、そして各店のアップセリングに関する業務手順書(SOP)などの資料収集によって集められました。話を聞いた相手は、店長・スーパーバイザー・ホールスタッフの計16名です。職位や勤続年数、協力の可否を考慮して対象者を選ぶ方法がとられ、調査期間は2026年の3月から5月の3か月間と記されています。分析にはマイルズとヒューバーマンの手法(データの整理、提示、結論の導出という段階を踏む進め方)が用いられました。

主な報告

著者らによれば、調査した8軒すべてでアップセリングが実践されていました。具体的には、価格の高いプレミアムメニュー、売れ筋のメニュー、追加の料理や飲み物、デザートなどを、客の好みに合わせてすすめるという形です。提案は主に注文を受ける場面で行われ、丁寧で強制的でない言い方がなされていたと観察されています。ある店の店長からは、あまり出ないメニューを客に知ってもらうためにもこの手法を使っている、という語りが得られました。

一方で、実践は一貫していなかったと報告されています。店が混み合っているときには、スタッフが接客を滞りなく回すことを優先し、追加の提案を行わないことがあったといいます。また、すすめられた料理を「高すぎる」と感じて断る客もいたと述べられています。論文は、ラブアンバジョの来訪が3月から11月に増え、12月から2月に減るという繁閑の差にも触れています。

成否に関わる要因として、著者らは四つを挙げました。第一に経営側の支援で、定期的なブリーフィング(朝礼などの打ち合わせ)、業務手順書、研修、そして成果に応じた報奨が、スタッフの準備状態を支えていました。第二に商品知識で、メニューの特徴や価格、食材、提供の仕方まで把握しているスタッフほど説得力のある提案ができていたとされます。第三に会話の力で、英語をはじめとする言語運用に加え、客の文化的背景の違いを踏まえて伝え方を調整できることが重要だと論じられています。第四に自信です。論文では、これを「職務に関する自己効力感」——自分はその仕事を遂行できるという確信——として説明し、値段の高いメニューをためらわずすすめたり、質問や断りに応じたりする姿勢につながるとしています。なお著者らは、スタッフ自身は自信を主に外国語が話せるかどうかと結びつけて語っていたが、本来はより広く販売業務を遂行できるという確信に関わるものだ、と指摘しています。

この研究が示すこと

著者らの結論は、アップセリングの成否が従業員個人の力量だけでも、組織の仕組みだけでも決まらない、という点にあります。経営側の支援が土台となり、その上で商品知識、会話の力、自信が働くことで、無理なく客に合った提案ができるようになる——この組み合わせこそが、一貫した実践を支えるという見方です。

同時に論文は、この研究が少数の飲食店を対象とした質的なものであり、結果をすべての飲食業や他の観光地に一般化することはできないと明記しています。あくまでラブアンバジョという場所における実践の、文脈に即した一つの描写として読むべきものだ、というのが著者らの立場です。

そのうえで著者らは、アップセリングを店の売上を伸ばす手段としてだけでなく、客が地域で過ごすあいだの体験を形づくる接客の一部として捉え直すことを提案しています。観光地が急速に変わりつつある場所で、人材の力と組織の支えをどう噛み合わせるか。この研究は、その問いを現場の言葉から描き出しています。

著者:Elisabet Oktaviani Hanggu(Politeknik Elbajo Commodus)、Yellysha Indri Cahyani Sanus(Politeknik Elbajo Commodus)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Elisabet Oktaviani Hanggu, Yellysha Indri Cahyani Sanus. FAKTOR YANG MEMENGARUHI PRAKTIK UPSELLING OLEH KARYAWAN FOOD AND BEVERAGE SERVICE DI LABUAN BAJO. Pringgitan 2026-08-31. DOI: 10.47256/prg.v7i1.1269. 原著ライセンス:CC BY.