この研究は、中国、ポーランド、イギリスの研究機関の研究論文です。
掲載誌:National Science Review
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜ水田のメタンを調べ直したのか
メタンは二酸化炭素に次いで地球温暖化に寄与する気体で、論文によれば、これまでの世界平均地上気温の上昇に0.5℃以上分を寄与してきたとされています。大気中にとどまる期間が9〜12年と比較的短い一方、20年の時間スケールでみた温暖化への影響は二酸化炭素の84倍とされ、排出を抑えることが近い将来の気候対策として効きやすい対象と位置づけられています。人間活動によるメタン排出源のうち、水を張った水田は最大級の単一排出源の一つで、人為起源全体の7〜10%を占めると報告されています。同時にコメは世界人口の半数以上の主食であり、気候対策と食料確保をどう両立させるかという問題に直結します。
ところが、水田からの排出量の推計は資料によって大きく食い違ってきました。著者らによれば、2020年の世界全体の推計値は年あたり20〜37テラグラム(Tg、1Tgは100万トン)と、ほぼ2倍の幅があります。IPCCの評価報告書でも、2000〜2009年の水田由来メタンの推計は第5次報告の年36Tgから第6次報告の年29Tgへと改められました。研究チームは、こうしたばらつきの根本には「排出係数法」への依存があると指摘します。これは、気候帯や管理方法ごとに定めた一定の排出量の目安(排出係数)を作付面積などに掛け合わせる方法で、広い範囲を簡便に扱える半面、地域内のばらつきや、気温上昇・収量向上・有機物投入の増加といった長期的な変化を反映しにくいという性質があります。
三つの方法で1961年から2020年を推計する
研究チームは、1961年から2020年までの世界の水田メタン排出を、空間的に細かく分けて推計しました。用いたのは構造の異なる三つの手法です。一つはCH4MODと呼ばれる「プロセスベースモデル」で、土の中の微生物がメタンを作り出す過程そのものを計算で表現します。もう一つはCH4-MLという機械学習モデルで、実際の圃場で測定されたメタン放出量のデータから統計的な関係を学習させたものです。この二つはIPCCの枠組みで最も詳細な「ティア3」に当たります。比較のために、格子ごとの活動データと調整した係数を使って改良した排出係数法(CH4-EF、ティア2相当)も併せて実行しました。
これらのモデルを動かすために、著者らは5分角(緯度経度を60分の5度で区切る細かさ)の世界データセットを新たに整備しました。水田の面積、生育の時期、気温、土壌の性質、そして水管理や有機物投入といった管理方法の情報が統合されています。複数の手法を同じ入力条件のもとで比べることで、「どの方法を使ったか」に由来する不確かさを見極めようとする設計です。
報告された主な結果
三つの手法はいずれも、1961年以降の明確な増加を示しました。CH4MODでは年10.1Tgから年39.5Tgへ、CH4-MLでは年13.9Tgから年38.1Tgへ、改良した排出係数法でも年18Tgから年33Tgへの増加です。ティア3の二手法の平均をとると、2020年の排出は年38.8Tgという過去最高値に達し、この60年で3倍を超えたと報告されています。一方、FAOやEDGARなどの従来型インベントリが示す増加速度は年あたり0.04〜0.12Tgと、はるかに緩やかでした。著者らは、これらが主に収穫面積の変化だけを反映しており、気温や生産性、有機物の供給量の長期変化を織り込んでいないためだと説明しています。2020年についてみると、ティア3平均は改良版排出係数法より18%、FAOより36%高い値でした。
地域別にみると、2010年代の排出はインド(24%)、中国(23%)、インドネシア(10.4%)、ベトナム(6.4%)で世界のおよそ63%を占めています。1961年から2020年の世界全体の増加26.78Tgのうち、絶対量で最も大きく寄与したのはインド(6.56Tg、全体の25%)でした。中国は1990年代以降に増加が鈍り、近年は比較的横ばいとなっており、インドが着実に増え続けているのとは対照的な軌跡を描いています。サハラ以南アフリカや南米の一部では、もとの水準が低かったところに稲作が急拡大したため、相対的な増加率が非常に大きくなっています。日本やオーストラリアのように、作付面積の減少によって排出が減った国もあります。
増加の要因を分解した解析では、収量の増加にともなう根からの分泌物(メタンの材料となる有機物)の増加が世界全体の増加分の36%と最大で、次いで水田面積の拡大が33%、稲わらのすき込みの増加が21%でした。気温上昇の寄与は約7%、家畜ふん堆肥の施用は約3%と見積もられています。ただし著者らは、これはシナリオ同士の差をとった分析であり、厳密な因果の特定ではないこと、気温と収量と有機物投入の相互作用を完全には切り分けられないことを断っています。
総量は増え、効率は改善している
注目されるのは、総排出量とは逆向きの動きです。1961年から2020年にかけて世界平均のコメ収量は2.6倍(1平方メートルあたり188gから481g)になり、単位面積あたりのメタン放出量は2倍(1平方メートルあたり13gから26g)になりました。収量の伸びが排出の伸びを上回った結果、コメ1キロを生産するのに出るメタン、すなわち「排出強度」は50gから45gへと低下しています。この低下は生産効率が上がったことの表れであり、メタンを積極的に削減する対策が効いた直接の証拠ではない、と著者らは注意を促しています。世界の水田面積の71%にあたる地域で排出強度は下降傾向にありました。
国ごとの差は大きく、バングラデシュはコメ1キロあたり27gと最も低い排出強度を示しました。一方パキスタンは世界平均の78%程度の収量にとどまりながら単位面積あたりの放出量が平均の1.4倍で、排出強度は112gと世界平均の2倍を超えます。ギニアも収量が世界平均の3割にとどまり、排出強度は111gでした。2010年代には世界のコメ生産の44%が、排出強度が世界平均を下回る国々で生産されており、そのグループの中では中国が生産量の63%を占める最大の担い手となっています。
この研究が示すこと
著者らは、構造のまったく異なる二つのティア3手法が、同じ入力条件のもとで時間変化にも空間分布にもよく一致する結果(2010年代の空間相関はr=0.89)を出したことを、推計の頑健さを支える内部的な整合性の確認と位置づけています。同時に、水管理や稲わらのすき込みについては1961年から2020年まで一貫した世界規模の時系列データが存在せず、静的な仮定に頼らざるをえなかったこと、アフリカや南米など新しく稲作が広がった地域では実測データが乏しくモデルの外挿に依存することを、限界として挙げています。
この研究が描き出すのは、総量と効率が別々の方向に動いているという構図です。コメ1キロあたりの排出は世界の広い範囲で下がってきた。それでも水田全体からのメタンは3倍に増えた。効率の改善だけでは、作付けの拡大と生産の集約化がもたらす気候への影響を相殺しきれていない、ということを数字が示しています。そして、従来の排出係数に基づく集計が増加の大きさと速さを過小に捉えてきた可能性があるという指摘は、削減の目標をどこに置くかという議論の前提そのものに関わります。
著者:Qiwen Hu(School of Atmospheric Sciences, Guangdong Province Data Center of Terrestrial and Marine Ecosystems Carbon Cycle, Sun Yat-sen University , Zhuhai ,)、Tingting Li(Southern Marine Science and Engineering Guangdong Laboratory (Zhuhai) , Zhuhai ,)、Hanzhi Xie(School of Atmospheric Sciences, Guangdong Province Data Center of Terrestrial and Marine Ecosystems Carbon Cycle, Sun Yat-sen University , Zhuhai ,)、Yao Huang(State Key Laboratory of Atmospheric Environment and Extreme Meteorology, Institute of Atmospheric Physics, Chinese Academy of Sciences , Beijing ,)、Josep G. Canadell(Global Carbon Project, CSIRO Environment , Canberra, ACT ,)、Jingxian Li(School of Atmospheric Sciences, Guangdong Province Data Center of Terrestrial and Marine Ecosystems Carbon Cycle, Sun Yat-sen University , Zhuhai ,)、Pete Smith(Institute of Biological and Environmental Sciences, University of Aberdeen , Aberdeen ,)、Wenping Yuan(Institute of Carbon Neutrality, College of Urban and Environmental Sciences, Peking University , Beijing ,)、Wen Zhang(State Key Laboratory of Atmospheric Environment and Extreme Meteorology, Institute of Atmospheric Physics, Chinese Academy of Sciences , Beijing ,)、Jianwen Zou(College of Resources and Environmental Sciences, Nanjing Agricultural University , Nanjing ,)、Jing Liu(School of Atmospheric Sciences, Guangdong Province Data Center of Terrestrial and Marine Ecosystems Carbon Cycle, Sun Yat-sen University , Zhuhai ,)、Jiawen Zhang(School of Atmospheric Sciences, Guangdong Province Data Center of Terrestrial and Marine Ecosystems Carbon Cycle, Sun Yat-sen University , Zhuhai ,)、Zhangcai Qin(School of Atmospheric Sciences, Guangdong Province Data Center of Terrestrial and Marine Ecosystems Carbon Cycle, Sun Yat-sen University , Zhuhai ,)、Shilong Piao(Institute of Carbon Neutrality, College of Urban and Environmental Sciences, Peking University , Beijing ,)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Qiwen Hu, Tingting Li, Hanzhi Xie, et al. Global rice methane emissions tripled over six decades amid declining emission intensity. National Science Review 2026-08-29. DOI: 10.1093/nsr/nwag555. 原著ライセンス:CC BY.