著者の所属・活動拠点の国は、ドイツ、中国、アメリカです。
掲載誌:Journal Of Clinical Periodontology
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的:幼少期の栄養不足は歯の健康に長く影響するのか
胎児期や乳幼児期の栄養状態がその後の健康に長く影響するという考え方は「健康と病気の発達起源(DOHaD)」と呼ばれます。母親の胎内で栄養不足を経験すると、高齢期の心血管疾患や糖尿病のリスクが高まることが報告されてきました。一方、生まれた後の子ども時代の栄養不足が口の健康にどう影響するかは、まだ十分に分かっていません。
研究チームが注目したのは、歯をすべて失った状態である「無歯顎(むしがく)」です。無歯顎は、長年にわたる口の病気が積み重なった結果を示す目安とされます。また、食事、会話、心理的な生活の質にも影響します。しかし、幼少期の栄養状態とどう関係するかはほとんど分かっていませんでした。そこで著者らは、過去に実際に起きた飢饉や食料難を「自然実験」として利用しました。自然実験とは、人が意図して割り当てたのではない出来事を、比較の条件として使う研究方法です。これにより、子ども時代の飢饉経験が高齢期の無歯顎に影響するかを調べました。
何をどう調べたか:年齢の影響を切り分ける工夫
分析には、1900年以降にアジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸で戦争や干ばつをきっかけに起きた10の飢饉・食料難が使われました。対象は、各地の高齢者調査に参加した16万5586人です。飢饉の期間中に1〜5歳だった人を「飢饉を経験した世代」としました。そして、飢饉の直後や飢饉の前に同じ年齢だった世代と比べました。無歯顎かどうかは、主に「歯をすべて失ったか」という質問への回答で判断しました。
著者らが特に重視したのは年齢の問題です。飢饉を経験した世代は生まれた年で決まるため、比較する世代とは調査時点の年齢がほぼ重なりません。歯を失う人の割合は年齢とともに大きく増えます。そのため、単純に比べると、飢饉の影響と「年齢が高いことの影響」が混ざってしまいます。統計の調整で年齢をそろえようとしても、この混同は完全には取り除けないと著者らは指摘しています。
そこで研究チームは、年齢の傾向と飢饉の影響を切り分ける複数の方法を組み合わせました。中心となったのは「回帰不連続デザイン」です。これは、生まれ年が飢饉世代の境目をまたぐところで、無歯顎の割合が急に変わるかを調べる方法です。ほかに、生まれ年に沿った割合の推移が飢饉世代で途切れたり傾きを変えたりするかを見る「分断時系列分析」も使いました。さらに中国の2つの調査では、飢饉による死亡が多かった省と少なかった省で、出身者を比べる分析も行いました。加えて、本来は影響が出ないはずの条件でも見かけの差が出ないかを確かめる検証も行い、分析の偏りを点検しました。
主な結果:年齢を切り分けると関連は見られなかった
単純な比較では、飢饉を経験した世代のほうが無歯顎の割合が高く見えました。リスク比は1.69で、約1.7倍に相当します。しかし、調査時点の年齢を考慮すると、この値は1.07まで下がり、統計的に意味のある差ではなくなりました。また、飢饉世代は、さらに年上の飢饉前の世代とも差がありませんでした。著者らは、見かけの関連は世代間の年齢差を反映したものだったと解釈しています。
年齢と飢饉の影響を切り分ける方法では、いずれも明確な影響は見られませんでした。中心となった回帰不連続デザインでは、10の飢饉をまとめた推定値は0.13ポイントの差にとどまりました。飢饉ごとの推定値も、10件すべてで統計的に有意ではありませんでした。生まれ年の推移を見た分析や、中国の省ごとの比較でも、はっきりした影響は確認されませんでした。偏りを点検する検証も問題を示さず、特定の調査を除いて再分析しても結論は変わりませんでした。著者らは、子ども時代の飢饉経験が高齢期の無歯顎を約2ポイントを超えて増やすような影響は検出されなかったとまとめています。
この結果が示すこと
この結果を著者らは「注目すべき」と述べています。幼少期の栄養不足は、免疫の働きや骨の代謝を通じて歯周病を起こしやすくする可能性があるからです。また、糖尿病のリスクを高めることも、歯周病につながりうると考えられてきました。一方で、戦時中には砂糖の供給が大きく減り、子どものむし歯が減ったという過去の報告もあります。著者らは、歯周病による害と、むし歯の減少による効果が打ち消し合い、集団全体では影響が見えにくくなった可能性を挙げています。今回の指標はさまざまな原因による歯の喪失をまとめたものです。そのため、歯周病に限った影響まで否定できるわけではないとしています。
研究チームは限界も挙げています。最も弱い立場にあった人は調査前に亡くなっている可能性があり、生き残った人の比較になっていることがその一つです。また、無歯顎は本人の回答に基づいています。それでも、この研究は重要な点を示しています。生まれ年で区切った世代を比べる研究では、年齢の影響を十分に切り分けないと、幼少期の経験の影響を過大に見積もるおそれがあります。特に、歯の喪失のように年齢とともに進み元に戻らない健康状態では、この点が重要になります。
原著論文の著者・所属:Sebastian‐Edgar Baumeister(Institute of Health Services Research in Dentistry, University of Münster Münster Germany)、Colman McGrath(Applied Oral Sciences and Community Dental Care Faculty of Dentistry, the University of Hong Kong Pokfulam Hong Kong S.A.R. China)、Thomas Kocher(Department of Restorative Dentistry, Periodontology, and Endodontology University Medicine Greifswald Greifswald Germany)、Gustavo G. Nascimento(School of Dentistry University of Utah Salt Lake City Utah USA)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Sebastian‐Edgar Baumeister, Colman McGrath, Thomas Kocher, et al. Childhood Famine Exposure and Late‐Life Edentulism: Evidence From Natural Experiments. Journal Of Clinical Periodontology 2026-08-16. DOI: 10.1111/jcpe.70190. 原著ライセンス:CC BY.