著者の所属・活動拠点の国は、バングラデシュ、アメリカ、インドです。

掲載誌:Frontiers in Plant Physiology

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

世界の人口は2050年に97億人に達すると見込まれており、必要な農業生産量を満たすには生産性を60〜70%引き上げる必要があるとされています。同時に気温上昇や降水パターンの変化、異常気象の増加が作物の栽培環境を大きく変えつつあります。加えて、鉄・亜鉛・ビタミンA・葉酸などの微量栄養素の不足、いわゆる『隠れた飢餓』は世界で20億人以上に影響しているとされ、特に主食作物に食を依存する開発途上国で深刻だと指摘されています。今回紹介するのは、こうした課題に対してゲノム編集技術CRISPR/Cas9と、作物に栄養素を強化する『バイオフォーティフィケーション』を組み合わせる可能性を検討した総説論文です。

従来の品種改良では、新品種の開発に8〜12年かかるうえ、乾燥耐性や栄養価向上のような複数の遺伝子が関わる形質は、望ましくない形質と一緒に受け継がれてしまう『連鎖障害』が起きやすいという限界があったと著者らは説明しています。これに対しCRISPR/Cas9は、狙った遺伝子だけを改変できる点が特徴で、論文によれば既に25種以上の植物で、100を超える遺伝子を対象に、収量から環境ストレス耐性、栄養価まで幅広い形質の改変が試みられているといいます。

研究でわかったこと——収量・ストレス耐性の改良

イネでは、OsERF109という遺伝子の改変によって水不足時にも収量を保ちながら乾燥耐性を高めた例や、OsNAC系の転写因子の改変によって乾燥・塩害耐性を高めた例が報告されており、圃場試験ではストレス条件下で従来品種より15〜20%収量が高かったとされています。コムギでは3つのサブゲノムを同時に編集する必要がある複雑さがありながらも、MLO遺伝子の破壊によりうどんこ病への耐性を高めた品種が作られたと述べられています。トウモロコシでは、プロテアーゼ阻害剤遺伝子の改変でツマジロクサヨトウ(アワヨトウの一種の害虫)への抵抗性を高めた例が紹介されています。

すでに実用化段階に進んだ例として、論文はインドで2025年に登録された、CRISPR/Cas12aでCKX2・Gn1a遺伝子を編集したイネ品種『KAMALA』を挙げています。18地点の圃場試験で平均19%の収量増加と早期成熟、品質の維持が確認され、インドの農家が栽培できる初のゲノム編集品種として登録されたと説明されています。また日本の例として、GABA(ギャバ)含有量を高めたトマト『シチリアンルージュハイギャバ』が紹介されており、CRISPR/Cas9でSlGAD2・SlGAD3遺伝子の自己抑制領域を除去することでGABA含有量を高めた品種で、2021年から苗の配布とオンライン販売が始まったとされています。日本ではこうしたゲノム編集作物について2019年に規制上の取り扱いが明確化され、外来遺伝子を挿入しない編集は比較的規制が緩やかな枠組みで扱われている点も、論文では他国の規制と比較する形で触れられています。

研究でわかったこと——栄養価を高める工夫

鉄・亜鉛不足は世界で16億人以上に影響し、特に妊婦や子どもに深刻だとされています。論文では、大麦由来のニコチアナミン合成酵素(NAS)遺伝子をイネに導入した系統で精米中の鉄・亜鉛含有量が2〜4倍に増えた例、コムギで亜鉛含有量が40〜60%増加した例、大豆由来のフェリチン遺伝子をイネに導入して鉄含有量を最大6倍に高めた例が紹介されています。ただしこれらの多くはCRISPR編集ではなく、従来型の遺伝子導入(形質転換)技術によるものだと著者らは明記しており、CRISPR自体はむしろ天然に存在する遺伝子座やその制御領域を狙い撃ちする方向で使われる傾向があると整理されています。

ビタミンA欠乏は世界で約2億5000万人の子どもに影響し、予防可能な失明の主な原因とされています。β-カロテンを強化した『ゴールデンライス』はこの分野の先駆けとされ、関連する遺伝子群の発現を調整することでイネの胚乳中のβ-カロテン濃度を20〜30マイクログラム/グラムまで高め、1日に必要なビタミンA量の50〜60%を賄えるとする報告が紹介されています。一方で葉酸(ビタミンB9)の強化については、CRISPR編集による研究例はまだ少なく、著者らはこの分野を『研究が手薄な領域』として明確に位置づけています。タンパク質の質に関しては、トウモロコシのゼイン遺伝子改変によりリジン含有量が40〜50%増加した例も挙げられています。

研究でわかったこと——乾燥・高温・塩害への耐性

論文は、乾燥・高温・塩分ストレスへの応答が、植物の中でABA(アブシジン酸)を介した経路やカルシウムシグナル伝達、活性酸素の除去機構など、共通の分子ネットワークに収束していると整理しています。そのため一つの遺伝子を編集すると複数のストレス耐性に同時に影響することがあるといいます。具体例として、トウモロコシのARGOS8遺伝子のプロモーター(発現調節領域)を編集して乾燥時の収量を高めた例(圃場試験で確認済み)、イネのOsPYL1・OsPYL4・OsPYL6遺伝子を同時に破壊して高温下での生育と収量を改善した例(こちらも圃場試験で確認済み)、トウモロコシのZmTMS5遺伝子改変で稔性が保たれる温度範囲を24℃から28℃に広げた例などが紹介されています。ただし著者らは、こうした遺伝子レベルの成果の多くは温室や生育チャンバーでの検証にとどまっており、圃場での実証はまだ限られていると指摘しています。

この研究の位置づけと注意点

この論文は新たな実験を行ったものではなく、既存の研究成果を整理した総説(レビュー)です。著者らは、規制の枠組み、社会的な受容、小規模農家を含めた技術アクセスの公平性が今後の課題として残っていると述べています。またゲノム編集作物の多くは実験室や圃場試験の段階にとどまっており、商業化・市場投入まで進んだ事例はまだ一部にすぎない点にも触れられています。本研究の著者にはバングラデシュの複数の農業系大学に加え、日本の埼玉大学・明治大学に所属する共著者が含まれており、日本の研究機関がこの国際共同レビューに関与しています。

この記事で紹介した数値や事例は、いずれも個別の研究报告に基づくものであり、CRISPR技術やバイオフォーティフィケーションが特定の作物や地域で同様の効果をもたらすと断定するものではありません。今後の実用化に向けては、規制対応や社会的受容など、技術面以外の課題も大きいことが示唆されています。

原著論文の著者・所属:Prodipto Bishnu Angon(Faculty of Agriculture, Bangladesh Agricultural University)、Sujit Mondal(Faculty of Agriculture, Patuakhali Science and Technology University)、A. Roy(Faculty of Agriculture, Bangladesh Agricultural University)、Arpan Das(Department of Soil and Crop Sciences, Texas A&M University)、Farzana Yeasmin Tithi(Department of Plant Pathology, Bangladesh Agricultural University)、A. Basak(Faculty of Agriculture, Gazipur Agricultural University)、Abu Talha Pallob(Department of Genetics and Plant Breeding, Sylhet Agricultural University)、Srishti Chauhan(Department of Agriculture Science, Sardar Vallabhbhai Patel University of Agriculture and Life Sciences)、Jannatul Ferdows Sagar(Department of Horticulture, Bangladesh Agricultural University)、Md Shihab Uddine Khan(Research Wing, Bangladesh Agricultural Research Institute)、Tahmina Akter(Department of Biochemistry and Molecular Biology, Bangladesh Agricultural University)、Mohammed Arif Sadik Polash(Department of Crop Botany, Khulna Agricultural University)、Md Arif Sakil(Department of Biochemistry and Molecular Biology, Bangladesh Agricultural University)

※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。出典(原著論文):Prodipto Bishnu Angon, Sujit Mondal, A. Roy, et al. CRISPR-driven genome modification and biofortification: innovative techniques for creating climate-resistant and nutritionally improved crops. フロンティアーズ・イン・プラント・フィジオロジー (2026). DOI: 10.3389/fphgy.2026.1900397. 原著ライセンス: cc-by.