この研究は、中国、イギリス、ハンガリーの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Agribusiness
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の背景と目的
農薬の不適切な使用や過剰な使用は、人の健康と生態系の双方に深刻な影響を及ぼしうる問題だと指摘されています。論文の著者らは、土壌中の微生物や花粉を運ぶ昆虫、鳥や魚といった対象外の生物への悪影響、流出による河川・地下水の汚染、さらに害虫が薬剤抵抗性を獲得して散布量が増え続ける「農薬のトレッドミル」といった懸念を挙げています。
こうした問題への対策として政府の規制や指導・研修が考えられますが、監視の費用や財政上の制約から、小規模農家が多数を占める分断的な生産構造では効果が十分に発揮されにくいと著者らは整理しています。そこで注目されるのが「契約栽培」です。農家と買い手が事前に販売の契約を結ぶ仕組みで、検査や契約打ち切りという形で違反の代償を高める、技術支援を通じて取り組みのハードルを下げる、品質に応じた価格上乗せ(プレミアム)で報いる、といった経路を通じて農薬使用を抑える可能性があります。
ただし著者らは、逆方向の力も同時に働くと述べています。買い手が生産現場を十分に監視できない場合、農家は収量を守るために農薬を使う余地が残ります。また企業の助言への不信感や、近隣農家の慣行に合わせる同調圧力も使用量を押し上げうるとされます。したがって、契約栽培が農薬使用を全体として増やすのか減らすのかは理論上は定まらず、データで検証すべき問いだと位置づけられました。先行研究は大規模農場を対象としたものや、小規模な地域限定のデータに依拠したものが多く、作物ごとの違いも十分に検討されてこなかったと著者らは指摘しています。
何をどのように調べたか
著者らは、中国農業農村部の研究機関が実施する全国規模の農村固定観察点調査のデータを利用しました。中国の31の省級地域にまたがる農家を継続的に追跡した調査で、2009年から2017年までの期間に絞り、158,850件の観察を分析対象としています。この期間に限定した理由として、農業投入財・契約参加・農薬使用に関する変数の定義や計測が標準化されて時系列比較が可能になったこと、2009年以降の農地権利の確定改革により土地保有の不安定さという交絡要因が小さくなったこと、契約栽培が制度として広がり計測の信頼性が高まったことが挙げられています。
分析の中心は、同じ世帯を時間を追って比較する手法(世帯と年の二方向固定効果モデル)です。これにより、文化的慣習や危険に対する態度、土壌の性質といった時間を通じて変わらない観察できない要因の影響を取り除き、同一の農家が契約を結ぶ前と後で農薬使用がどう変わったかを捉えようとしています。世帯主の性別・年齢・教育年数・技術研修の受講・自己評価による健康状態、農外就業の日数や場所、経営耕地面積や区画数、農地の貸し借り、農業資材の入手先、村の労働力構成や農薬価格、地形などが制御変数として用いられました。
さらに著者らは、契約を結ぶかどうかが農家自身の選択である点や、農薬使用との間に逆向きの因果があり得る点に対処するため、操作変数法(二段階最小二乗法)も用いています。操作変数には「村で年間に発生した民事紛争の件数」を採用しました。紛争が多い村では契約の履行が担保されにくく取引費用が高いため、口約束など非公式な取り決めに向かいやすく、正式な契約への参加が減るという想定です。分析対象の約半数(49.20%)の世帯が契約を結んでおり、36.6%の世帯が期間中に少なくとも一度は契約参加の状態を変えていたと報告されています。
報告された主な結果
単純な平均の比較では、契約を結んでいない世帯の農薬使用量は、結んでいる世帯より1ムー当たり6.42キログラム多かったと報告されています。ただし著者らは、これは他の要因を考慮していない二変数の比較にすぎないとして、より厳密な分析に進んでいます。
二方向固定効果モデルでは、個人・世帯・村の特性を順に加えたいずれの推定でも、契約の係数は一貫して負で統計的に有意でした。最も多くの要因を制御した推定では、契約を結んだ農家の農薬使用は非契約の農家に比べて40.70%低いという結果が報告されています。操作変数法による推定でも、契約は農薬使用に有意な負の影響を示しました。第一段階では民事紛争件数の係数が有意に負で、紛争の多い村では契約参加の可能性が下がるという想定どおりの関係が確認され、弱い操作変数の懸念も退けられています。著者らは、固定効果による推定値を精度の高い保守的な基準値、すなわち平均的な効果の下限に当たるものとして解釈しています。
著者らはこの結果を、契約に伴う品質プレミアムの誘因効果が、監視の不完全さから生じる機会主義的な行動の影響を上回っていることを示すものだと述べています。さらに作物別の分析では効果が一様ではなく、コメ・小麦・トウモロコシでは契約参加と農薬使用の減少が一貫して結びついていた一方、果物と野菜ではそうした関係が見られませんでした。論文では、傷みやすく高付加価値の作物では保存や迅速な品質確認が技術的に難しく、生産方法を観察しにくいため、品質プレミアムによる誘因が弱まりやすいという説明が示されています。これに対し主食作物は規格化と監視が比較的容易だと整理されています。
この研究が示すこと
著者らは、小規模農家が農業経営の98%以上を占め、世界最大の農薬使用国でもある中国において、全国規模のパネルデータを用いて契約栽培の効果を検証しました。得られた知見は、販売契約という市場を通じた仕組みが、公的な監視や指導の手が届きにくい環境でも農薬使用の抑制に寄与しうることを示しています。
同時にこの研究は、すべての作物に同じ削減目標を当てはめる一律の政策設計には限界があることを示唆しています。主食作物では契約栽培を広く推進・強化する余地がある一方、果物や野菜のような換金作物については、追跡可能性の確保や残留農薬の監視を伴う官民の連携へと支援の重点を移す必要があると著者らは論じています。契約という仕組みの効き方が作物の性質によって異なるという点が、この研究から読み取れる要点です。
著者:Zhihui Liang(School of Business Administration Zhongnan University of Economics and Law Wuhan China)、Shan Jin(Faculty of Business and Law University of Portsmouth Portsmouth UK)、Matthew Gorton(Corvinus University of Budapest Budapest Hungary)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Zhihui Liang, Shan Jin, Matthew Gorton. Does Contract Farming Reduce Pesticide Use? Panel Data Evidence From Smallholder Farmers in China. Agribusiness 2026-09-17. DOI: 10.1002/agr.70159. 原著ライセンス:CC BY.