この研究は、シンガポール、イギリスの研究機関の研究論文です。

掲載誌:Nutrients

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

何を目的とした研究か

食べるという行動は、育ってきた環境や心理状態だけでなく、記憶のはたらきにも左右されると考えられてきました。研究チームは、とくに「エピソード記憶」と呼ばれる、自分が経験した出来事を思い出す記憶が、食べ物の選択や食欲に関わることを先行研究として挙げています。食品の広告は、この記憶のしくみを利用して将来の購買を促すものだとも述べています。

近年の行動実験では、人には高カロリーの食べ物の「場所」をよく覚えるという空間記憶の偏りがあり、それは生存のための進化的な適応ではないかという指摘が出ています。ただし研究チームによれば、思い出す記憶(再生記憶)が食事の内容にどう関わるかを調べた研究はこれまでありませんでした。そこで必要になるのが、多くの人を対象に同じやり方で「食べ物に対する記憶の偏り」を測れる標準的な道具です。

本研究の目的は、その道具となるコンピューター上の画像課題「Food Memory Bias Task(FMBT、食物記憶バイアス課題)」を新たに作り、最初の検証を行うことでした。将来的に多民族が暮らすアジアの大規模な集団研究で使えることを想定しています。

どのような検査をどう作ったか

FMBTは、認知症や軽度認知障害のスクリーニングとして世界的に使われているMoCA(モントリオール認知評価)の遅延再生課題を手本にしています。MoCAでは、最初に単語のリストを読ませる際に「覚えてください」とはあえて伝えず、別の課題をはさんだあとで思い出してもらいます。FMBTも同じ考え方で、提示・符号化(エンコーディング)・遅延・再生という4つの部分からなります。

まず、高カロリーと低カロリーの食べ物の画像を同数含むスライドショー映像を一度だけ見せます(再生し直しはできません)。次に見た画像を選んでもらい、その後に食行動に関する質問票などに回答してもらって時間を置き、最後にもう一度どの画像があったかを選んでもらいます。覚える必要があるとは事前に知らせないため、最後の再生課題には「不意打ち」の要素があります。画像は心理実験用の標準的な画像データベースから選ばれ、100gあたり53キロカロリー以下を低カロリー(主に生の果物や野菜)、140キロカロリー以上を高カロリー(主に加工食品)と定義して、中間のものを除いています。

開発段階では、シンガポールの大学の18〜40歳の学生・職員172人が参加しました。画像の枚数(6〜12枚)や遅延時間(10分・20分・30分)を変えて試したところ、この若年層では記憶成績に目立った差は出ませんでした。そのため天井効果(全員が満点近くになって差が見えなくなること)を避けるため、最も多い枚数と最も長い30分の遅延が採用されました。参加者の91.9%が操作は簡単だと答え、一部がスライドショーの冒頭を見逃していたため、開始と終了を知らせる画面が追加されました。

検証段階では、30歳以上の人はシンガポールの健康コホート研究(HELIOS研究)の参加者から募集し、2回の来訪を完了して条件を満たした184人分のデータが解析されました。平均年齢は49.3歳、男性44.6%でした。得点は信号検出理論という考え方で算出され、高カロリー食品の識別成績から低カロリー食品の識別成績を引いたものを「記憶バイアス得点(MBS)」、両者の平均を「記憶得点(MS)」としています。MBSが高いほど高カロリー食品に記憶が偏っていることを表します。

報告された主な結果

まず、FMBTが確かに記憶を測っていることが確かめられました。FMBTの記憶得点は、別に実施した2つの検証済み記憶検査(BAC言語記憶、および一般的認知機能の指標「g」)と正の相関を示し、性別・年齢・民族などを調整しても関連は残りました。また記憶得点は年齢が高いほど低いという関係も見られました。

記憶の偏りについては、大半の参加者が偏りのない(得点0の)中立に位置し、高カロリー寄りと低カロリー寄りに分かれる三峰的な分布になりました。偏りの方向にかかわらず、年齢が高い人ほど偏りは強い傾向がありました。低カロリー寄りの人では偏りが大きいほど記憶得点が低かった一方、高カロリー寄りの人では偏りと記憶得点に相関はありませんでした。研究チームは、これは探索的な下位集団の解析であると断ったうえで、高カロリー食品への記憶の偏りが視覚的な手がかりの保持を助けている可能性を示唆するかもしれず、エネルギー密度の高い資源を優先して覚えるという採食理論の考え方と整合的に見える、と述べています。

食行動との関係では、記憶バイアス得点は「食物接近(food approach)」傾向、つまり食べ物の手がかりに引き寄せられる傾向と相関していました。一方で、自己申告による栄養素摂取量やBMIとは相関しませんでした。研究チームは、肥満のある参加者が少なかったため統計的な検出力が足りなかった可能性を排除できないとしています。

再現性については課題が残りました。2回目の来訪では別の画像セットを使ったにもかかわらず、記憶バイアス得点は平均0.57点低くなり、学習効果があったことが示されました。2回の得点の相関は有意ではありませんでした。また、食品広告を模した映像やアンケートで手がかりを追加した実験では、低カロリーの手がかりを見せたときに高カロリーへの偏りが強まるという、予想とは逆のパターンが観察されました。研究チームはこれを社会的望ましさのバイアス(望ましいと思われる答え方に寄る傾向)の可能性として挙げ、独立した追試が必要だとしています。アジアの食べ物の画像を用いた版と元の版とでは、記憶バイアス得点に有意な差はありませんでした。

この研究が示すこと

研究チームは、この研究がタブレットで実施できる画像ベースの検査を開発し、記憶を測る性質と偏りを捉える性質を一定程度確かめたものだと位置づけています。同時に、学習効果や実施時間のばらつきによって再テスト時の安定性が低いことを限界として明示し、画像の提示方法を変える、遅延時間を一定にするなどの改善が必要だと述べています。英語版しかないこと、参加者に中国系が多いこと、シンガポール以外での外部検証が未実施であることも限界として挙げられています。

高カロリー食への記憶の偏りが実際の食事内容や体格とどう結びつくのかは、この研究では確かめられておらず、未解明のまま残されています。それでも、これまで注目の中心だった注意の偏りとは別に、食べ物の手がかりが記憶としてどう残るのかを集団規模で測る手がかりが用意されたことが、この研究の伝えるところです。

著者:Brendon Yi Neng Wong(Department of Economics, National University of Singapore, Singapore 117570, Singapore)、Irving Yu Le Shua(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)、Rahmania Putri Dewinta(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)、Vedhavaishnavi Sugumaran(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)、Kaleeswaran Shaminidevi(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)、Nadia Loh Ting Wei(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)、J S Lee(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)、Max Lam(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)、John Chambers(Department of Epidemiology and Biostatistics, School of Public Health Faculty of Medicine, Imperial College London, London W2 1PG, UK)、Theresia Mina(Lee Kong Chian School of Medicine, Nanyang Technological University, Singapore 308232, Singapore)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Brendon Yi Neng Wong, Irving Yu Le Shua, Rahmania Putri Dewinta, et al. The Development and Validation of the Food Memory Bias Test for a Large-Scale Epidemiological Study in a Multiethnic Asian Population. Nutrients 2026-09-04. DOI: 10.3390/nu18172912. 原著ライセンス:CC BY.