この研究は、オーストラリアの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Nutrients
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的と背景
不安症やうつ病は世界的に大きな負担となっている一方で、既存の薬物療法や心理療法では十分に改善しない患者が少なくありません。そこで著者らが注目したのが、葉酸やホモシステイン、メチル化にかかわる「一炭素代謝」と呼ばれる体内の代謝経路です。この経路は、セロトニンやドパミンといった神経伝達物質の合成や、遺伝子のはたらき方を調節するメチル化反応を支えていると説明されています。
この経路の中心にあるのがMTHFRという酵素で、葉酸を体内で使える形(5-MTHF)に変換します。MTHFR遺伝子にはc.665C>T、c.1286A>Cという二つのよくある変異型があり、これらを持つ人では酵素のはたらきが弱まり、ホモシステインが高めになったり葉酸の状態が低めになったりすることが知られていると論文は述べています。ただし著者らは、遺伝子型だけで精神症状の重さや治療反応を確実に予測できるわけではない、という先行研究の状況も整理しています。
こうした背景をふまえ、著者らは、遺伝子型と血液検査の結果に合わせて栄養素(ニュートラシューティカル)を個別に組み立てる治療が、実際の一般診療のなかで心理的苦痛をどの程度やわらげているのか、またMTHFRの遺伝子型によって改善の度合いが違うのかを検討しました。
調べ方
研究チームは、オーストラリア・ゴールドコーストにある統合的な一般診療クリニックの診療記録をさかのぼって分析しました(後ろ向きコホート研究)。対象は18歳以上で、不安またはうつ症状を主な診断とするメンタルヘルスケアプランを持ち、治療開始前後の心理的苦痛の測定がそろっている50人です。治療期間中に向精神薬の開始や大幅な増減量があった人などは除外されています。参加者の84%が女性、平均年齢は42.7歳で、52%は安定した用量の向精神薬を継続していました。MTHFRの遺伝子型が判明していたのは37人です。
主要な評価指標には、ケスラー心理的苦痛尺度(K10)が使われました。これは過去4週間の不安・抑うつ症状を10項目で尋ねる質問票で、点数が高いほど苦痛が強いことを示します。治療は約3か月(10〜16週)行われ、その前後でK10と血液検査が実施されました。
処方内容は患者ごとに異なり、L-メチル葉酸(多くは1日15mg)、ビタミンB12(内服または筋肉注射)、ビタミンB6、リボフラビン(B2)、SAMe、亜鉛やマグネシウム、オメガ3脂肪酸などが、検査値や遺伝子型に応じて組み合わされました。たとえばc.665C>Tの変異を持つ人やホモシステインが高い人には5-MTHFとリボフラビンが優先され、治療抵抗性の場合にSAMeが追加されるといった方針です。著者らは、当時は正式な文書化されたアルゴリズムはなく、臨床家の判断に基づく運用であったと明記しています。
報告された主な結果
K10の平均点は、治療前の24.28点から追跡時の20.28点へと、平均4.00点低下しました。統計的には有意な低下で(p<0.0001)、効果量は小〜中程度と報告されています。論文では、患者の72%に改善がみられたとされています。
一方、MTHFRの遺伝子型によって改善の度合いが変わるかを比べた解析では、c.665C>T、c.1286A>Cのいずれについても、野生型・ヘテロ接合・ホモ接合の間に統計的に意味のある差は見つかりませんでした。変異アレルの数を用いた回帰分析でも、K10の変化のばらつきのうち説明できたのは3.3%にとどまりました。遺伝子型が調べられていなかった13人も同程度(平均3.46点の低下)に改善していたことも報告されています。
個々のサプリメントについては、L-メチル葉酸を使った群(平均5.24点低下)が使わなかった群(同3.10点)より、またSAMeを使った7人(同5.14点)が使わなかった群(同3.81点)より、数値の上では大きく改善していました。ただしいずれも統計的に有意な差ではなく、著者らは対象人数の少なさを理由として挙げ、これらの副次的な解析は仮説を生み出す段階のものだと位置づけています。
血液指標では、ビタミンB12が有意に上昇しました。ホモシステインはわずかに低下しましたが有意ではなく、血清葉酸にも有意な変化はありませんでした。また、これらの指標の変化とK10の改善との間に有意な相関は認められませんでした。安全面では、肝機能や腎機能の指標に有意な変化はなく、重篤な有害事象も報告されていません。頭痛、落ち着かなさ、不眠といった軽い一過性の症状が一部にみられましたが、用量調整で解消したとされています。
この報告が示すこと
著者らは、この研究が実際の診療現場のデータをふり返ったものであり、比較対照群がないことから、観察された改善の理由を一つに絞ることはできないと率直に述べています。遺伝子型に合わせた栄養補助がうまくはたらいた可能性のほかに、統合的なケア全般による効果や、平均回帰(もともと点数が高かった人が自然に下がっていく傾向)といった説明も同じくらいあり得るとしています。
それでも本研究は、MTHFR遺伝子型を「決定的な予測因子」ではなく修正可能な要因の一つとして扱う見方と整合する結果を示し、個別化された栄養素による治療が一般診療のなかで安全に実施できたことを記録しました。遺伝子と生化学の情報を手がかりに治療を組み立てるという考え方が、日常の医療の場でどのように動くのかを具体的に示した報告といえます。
著者:Cristina Beer(Centre for Genomics and Personalised Health, School of Biomedical Sciences, Faculty of Health, Queensland University of Technology, Kelvin Grove, QLD 4059, Australia)、Fiona Rae(Centre for Genomics and Personalised Health, School of Biomedical Sciences, Faculty of Health, Queensland University of Technology, Kelvin Grove, QLD 4059, Australia)、Mikayla Watt(Cris Medical Services, Robina, QLD 4226, Australia)、Maciej Trzaskowski(Ketim Technologies, Brisbane City, QLD 4000, Australia)、Clarissa G. Yates(Ketim Technologies, Brisbane City, QLD 4000, Australia)、Annalese Semmler(School of Clinical Sciences, Faculty of Health, Queensland University of Technology, Kelvin Grove, QLD 4059, Australia)、Joanne Voisey(Centre for Genomics and Personalised Health, School of Biomedical Sciences, Faculty of Health, Queensland University of Technology, Kelvin Grove, QLD 4059, Australia)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Cristina Beer, Fiona Rae, Mikayla Watt, et al. Personalised Nutraceutical Treatment Guided by MTHFR Genotype in Mental Health: A Retrospective Cohort Study. Nutrients 2026-08-26. DOI: 10.3390/nu18172791. 原著ライセンス:CC BY.