著者の所属・活動拠点の国は、中国です。

掲載誌:Sustainability

ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: 論文PDF

豊かな海洋資源が高付加価値の製品になりにくい理由を探る

海の生き物から新しい薬を生み出そうとする取り組みは、海洋資源を経済に活かす「ブルーバイオエコノミー」の柱の一つとして注目されています。中国でも、海洋生物を体系的に新薬開発へ活用する「青い薬箱(藍色薬庫)」構想が掲げられてきました。ただ、資源に恵まれた地域であっても、その資源が付加価値の高い医薬品へとつながるとは限りません。

著者らは、海洋生物資源が高付加価値の医薬品に結びつかない状況を「価値化のギャップ」と呼びました。中国の沿海都市・大連の海洋伝統医薬(海洋由来の中国伝統医学の薬材や製品)産業を事例に、このギャップを生む統治や制度の障壁を明らかにすることを目的としています。研究室の成果が実用化に至らず途絶えてしまう段階は、一般に「死の谷」と呼ばれます。研究チームは、この死の谷が具体的にどのような形で現れているかにも注目しました。

関係者16人への聞き取りから障壁を整理

研究チームは、一つの地域を詳しく調べる探索的な事例研究の手法をとりました。大連の海洋医薬分野に関わる専門家16人に、あらかじめ大枠の質問を用意しつつ自由に語ってもらう半構造化インタビューを実施しています。対象者は、大学などの研究者7人、臨床の専門家3人、産業界5人、行政・政策関係者1人で、いずれも関連分野で5年以上の経験がある人たちです。

分析では、発言内容を細かな意味のまとまりに分ける作業(コーディング)を専用ソフトの支援を受けて行い、54の初期コードを得ました。そこから上位のテーマへとまとめ上げています。論文によれば、10人目のインタビューの時点で最終的な54コードのうち51コードがすでに現れており、四つの主要テーマもすべて出そろっていました。テーマの整理には、イノベーションを社会の仕組み全体から捉える理論や、大学・産業・行政の連携を扱う理論など、四つの理論的な視点が用いられています。

互いに強め合う四つの障壁

分析の結果、四つの障壁が浮かび上がりました。一つ目は「価値連鎖の固定化」です。大連の海洋医薬分野は付加価値の低い食品レベルの製品に偏っており、医薬品開発がほとんど行われていない状況が指摘されました。ある専門家は「開発が不十分なのではなく、開発がまったくない」と述べています。二つ目は「分断されたイノベーション環境」です。研究は各機関に散らばって共同研究が乏しく、論文を重視する大学と、商業的な時間軸で動く企業との間で評価の仕組みが食い違っていました。伝統医学と現代の製薬工学の両方を理解する人材の不足も挙げられています。

三つ目が、研究チームが最も重要な発見と位置づけた「実用化の死の谷」です。研究室規模の成果を工業生産へ移す中間段階の試験製造(パイロット規模)を担う共用設備が欠けていることが、最大のインフラ上の空白とされました。ある病院の薬剤師は、優れた外用の膏薬があっても院内に製剤設備がなく、再建には数千万元が必要だと語っています。成分が複雑なため品質の標準化が難しいことも、この谷を深めていると報告されました。四つ目は「未成熟な産業環境」です。中小企業が中心で業界をけん引する中核企業がなく、長期で高リスクの新薬開発は避けられがちです。担当部署が分かれていて全体に責任を持つ部門がないという政策の分断も指摘されました。

著者らは、これらの障壁が単独で働くのではなく、互いを強め合う循環をつくっていると分析しています。低付加価値に固定されているため研究開発への投資余力がなく、研究が分断されているので品質標準化が進まず、それが死の谷を深め、さらに新薬開発を中小企業の手に届かないものにする、という連鎖です。著者らはこれを、どの主体も単独では抜け出せない「ロックインの罠」と表現しています。

青島との比較と「二つの車輪」の提案

研究チームは比較対象として、中国で唯一承認された海洋由来の医薬品(オリゴマンヌロン酸ナトリウム、GV-971)を生み出した青島を取り上げました。文献や公表資料から、成功の要因として次の四つを挙げています。数十年にわたり海洋薬理学に取り組んできた中核的な研究機関の存在、研究テーマを一つの方向に絞った長期的な集中、試験製造設備や知的財産管理、起業支援を一体で備えた橋渡しの拠点、そして個々の研究に細かく介入せず、環境づくりに徹した行政の後押し役としての関わり方です。

これらを踏まえ、著者らは「二つの車輪」からなる統治の枠組みを提案しています。一つ目の車輪は既存産業の高度化で、根拠に基づく機能性食品の質の向上や、トレーサビリティ(産地や流通の追跡)と持続可能性の認証を備えた地域ブランドづくりによって、早い段階で成果を生み出すことを狙います。二つ目の車輪は長期的な医薬品開発です。有望な治療分野を一つか二つに絞ること、研究者による新興企業の立ち上げを支えること、公的な基金で初期段階のリスクを分担すること、野生生物への依存を減らす環境に配慮した創薬を進めることが含まれます。著者らは、政府の役割は勝者を選ぶことではなく、環境を育てることにあるとまとめています。

この研究は一都市の事例に基づいており、示された結果は統計的な一般化ではなく、関係者の認識を反映したものです。著者ら自身も、ほかの地域への当てはめには注意が必要だとしています。そのうえでこの研究は、資源に恵まれているだけでは医薬品の革新は生まれず、研究と生産をつなぐ設備や、関係者をまとめる制度を意図的に設計することが欠かせないという見方を、現場の声に基づいて具体的に示しています。

原著論文の著者・所属:Ying Li(School of Nursing, Dalian University, Dalian 116001, China)、Wentao Li(School of Nursing, Dalian University, Dalian 116001, China)、Haihong Qin(School of Nursing, Dalian University, Dalian 116001, China)、Xiaohua Zhou(School of Nursing, Dalian University, Dalian 116001, China)、Yao Cui(School of Infrastructure Engineering, Dalian University of Technology, Dalian 116024, China)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Ying Li, Wentao Li, Haihong Qin, et al. Sustainable Governance of Marine Bio-Resource Valorization: Bridging the “Valley of Death” in China’s Marine Traditional Medicine Industry. Sustainability 2026-08-07. DOI: 10.3390/su18168081. 原著ライセンス:CC BY.