江戸時代から明治時代にかけて、都市に暮らす庶民の食事は、米を主食に海の魚を添える、いわば「シンプルな食事」だったとよく言われます。しかし、そのような一見質素に見える食生活で、体に必要なミネラルは十分にまかなえていたのでしょうか。今回、サイエンティフィック・リポーツ誌に、この長年の疑問にユニークな方法で迫った研究が発表される予定です。研究者たちが目をつけたのは、なんと「本の表紙」でした。
本の中に眠っていた「人の毛」から当時の食生活を読み解く
昔の書籍には、製本の過程で偶然、人の毛髪が紙や表紙に紛れ込んでしまうことがあります。研究チームはこの点に着目し、約7万冊にも及ぶ膨大な数の歴史的書籍を調査しました。書籍には奥付(発行者や発行年などを記した記録)が残されていることが多く、これによって見つかった毛髪サンプルを「どの都市の」「何年頃のものか」という具体的な情報と結びつけることができたといいます。これは、豊富かつ年代の裏付けが取れた資料から、集団レベルでの食生活を復元できる非常に珍しい機会になったと報告されています。
研究チームは、この毛髪に含まれる複数の元素(ミネラルなど)を詳しく分析しました。その結果、必須元素を含むいくつかの元素が、現代の人々の毛髪と比べて、歴史的な毛髪のほうで一貫して高い値を示したということです。これは、当時の食生活のほうが、現代よりもミネラルの利用可能性(体に取り込まれる量の目安)が高かった可能性を示していると報告されています。
また、毛髪に含まれる炭素と窒素の同位体(元素の中でも性質のわずかに異なる仲間)を調べる分析も行われました。この結果からは、米に代表される「C3植物」と呼ばれるタイプの主食に強く依存していたことが確認されたとしています。さらに、海産魚が窒素の主要な供給源であり、しかもその割合が時代とともに増加していったことも示されたということです。
これらの元素データと同位体データを総合すると、精米の仕方、海産資源の利用、塩による保存食、調理器具といった、さまざまな「モノ」にまつわる生活習慣が、当時のミネラル摂取に影響していた可能性が示唆される、と論文では考察されています。
この研究の位置づけと読むうえでの注意
この研究の面白さは、歴史的な書籍そのものが、当時の人々の日常の食生活や物質文化を読み解くための「生体アーカイブ(生物由来の記録庫)」になりうることを示した点にあると報告されています。そのうえで、江戸から明治期にかけての都市庶民は、米と海産魚を中心とした一見シンプルな食事でありながら、現代の人々よりも大幅に高い食事性ミネラルの利用可能性を持っていた可能性がある、と結論づけられています。
ただし、これはあくまで一つの研究成果であり、当時の食生活のすべてが解明されたわけではありません。毛髪という限られた資料から推定される内容であることや、対象となった時代・地域の範囲など、研究には一定の枠組みがあることにも留意して読むとよいでしょう。今後、同様の手法を用いた研究が積み重ねられることで、歴史上の人々の食生活について、さらに理解が深まっていくことが期待されます。
まとめ
本の表紙に紛れ込んでいた人の毛髪という、思いがけない切り口から、江戸から明治期の都市庶民の食生活が科学的に読み解かれました。「質素」に見える米と海産魚中心の食事が、実は現代よりもミネラル豊富だった可能性があるという今回の報告は、過去の暮らしを見直すきっかけを与えてくれる、興味深い研究といえそうです。
※本記事は下記の原著論文を紹介するものです。参考文献:書籍に埋め込まれた毛髪が明らかにする近世から近代日本の都市庶民のミネラル豊富な食生活(サイエンティフィック・リポーツ・2026年08月)