モンゴル高原と聞くと、遊牧民が家畜とともに草原を移動する暮らしを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。実際、この地域は乾燥していて季節による変化が激しく、農業には向かない土地とされてきました。そのため、長い間「この環境で人が定住するのは難しく、遊牧こそがこの土地に適した暮らし方だ」と考えられてきました。
ところが近年、モンゴル高原南部の考古学調査によって、農耕や牧畜が広がるよりも前の完新世(今から約1万年前以降の時代)初期に、すでに定住していた人々の痕跡が見つかりました。これは「農業がなければ定住できない」という一般的なイメージを覆す発見です。では、彼らは一体何を食べて、この厳しい環境で定住生活を維持していたのでしょうか。今回紹介する研究は、この謎に迫るものです。
研究でわかったこと
研究の対象となったのは、モンゴル高原南部にある「ユミン(Yumin)遺跡」です。この遺跡は、地域の新石器時代への移行を示す「ユミン文化」を代表する早期定住集落で、今からおよそ8600〜7400年前(較正年代)のものとされています。
研究チームは、この遺跡の堆積物に残された古代DNAをメタゲノム解析するという手法を用いました。骨や道具といった目に見える遺物だけでなく、土そのものに残されたDNAの断片を読み解くことで、当時どのような動植物がその場に存在していたかを推定するアプローチです。
その結果、ユミン遺跡の人々は非常に幅広い資源を利用していたことが明らかになりました。動物では、シカ属(Cervus)、ウシ属(Bos)、ウマ属(Equus)といった多様な野生の有蹄類に加え、イノシシ属(Sus)のような雑食動物、さらにはノウサギ属(Lepus)のような小型で繁殖の速い動物も含まれていたとされています。植物についても、食用になりうる果実、木の実、草の種子、地下貯蔵器官(芋のような部分)など、多彩な野生植物が確認されました。加えて、キビの一種であるアワ(Setaria italica)もわずかながら見つかっており、農耕的な要素がごく一部存在していたことも示唆されています。
さらに研究チームは、この古代DNAのデータを、過去の気候・自然植生・水文(水の分布や流れ)の復元結果と組み合わせて分析しました。その結果、完新世初期に気候が温暖で湿潤な方向へと変化したことで、森林と草原が接する「生態的移行帯(エコトーン)」と呼ばれる、資源が豊かな環境が生まれたと考えられています。人々はこの資源豊かな環境を、狩猟対象を広げたり複数の資源を組み合わせて利用したりする形で戦略的に活用し、食料供給を安定させることで、農耕に頼らずとも定住生活を実現していたことが示されました。
この研究の位置づけ・読むうえでの注意
この研究は、特定の遺跡である「ユミン遺跡」の堆積物を対象にした事例研究です。得られた知見はこの遺跡・時代における人々の生業の姿を示すものであり、モンゴル高原全域や他の時代にそのまま当てはまるとは限りません。また、堆積物古代DNAという手法は、その場に存在した生物の痕跡を検出するものであり、検出された動植物のすべてが実際に「食料」として利用されていたと断定するものではなく、あくまで食料資源として利用された可能性が示されているという点にも留意が必要です。一つの研究であり、これによって結論が確定したわけではありません。
まとめ
今回紹介した研究は、モンゴル高原南部の早期定住集落であるユミン遺跡において、堆積物古代DNAという手法を用いることで、多様な野生動物・野生植物、そしてわずかな栽培植物を組み合わせた「広範囲型」の生業戦略が存在していた可能性を示しました。気候の改善が資源豊かな環境を生み出し、それを柔軟に活用することが、農耕に頼らない定住生活を支えていたという見方は、遊牧のイメージが強いこの地域の人と環境との関わりを考えるうえで、興味深い視点を提供してくれます。
※本記事は下記の原著論文を紹介するものです。参考文献:堆積物古代DNAが明らかにする、モンゴル高原南部における早期定住を支えた広範な生業戦略(ジャーナル・オブ・アーキオロジカル・サイエンス・2026年07月)