掲載誌:Artefactum
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の問い:給食は文化を消すのか、守るのか
ブラジル北東部のセアラー州には、先住民族、キロンボラ(逃亡奴隷の子孫が築いた共同体に由来する人々)、沿岸の小規模漁業の共同体など、独自の暮らしと食文化を持つ伝統的な共同体が数多くあります。著者らはこうした地域の学校給食を取り上げ、給食を栄養補給の手段としてだけでなく、人権であり文化的な権利でもあるものとして捉え直しています。
著者らによると、セアラー州の学校給食は長く、カロリーをどれだけ補うかという生物学的な観点や、食料を支援するという福祉的な観点から扱われてきました。しかし伝統的な共同体にとって、食べることは帰属意識を確かめ、知恵を受け継ぎ、市民として生きることにも結びついています。
そこで研究チームは、学校の食環境が超加工食品の広がりによって文化を消し去る場になるのか、それとも民族の誇りを守り、抵抗の拠点になりうるのかを問いました。著者らの仮説は、この二つの可能性が常に緊張関係の中で共存しており、どちらに傾くかは技術的な規定よりも、学校で何を食べるかの決定権をめぐる政治的な力関係に左右される、というものです。目的は、学校給食と学校の調理場が、記憶、食の主権、そして民族の文化に根ざした地域発展を育む教育の場としてどのような役割を果たすかを分析することでした。
どのように調べたか
この研究は、現地調査や数値データの収集を行ったものではなく、理論と概念を整理する質的・探索的な研究です。著者らは、食をめぐる文化や社会を研究する「食の人類学」の知見と、セアラー州で現在有効な法令の文書分析を組み合わせました。
分析の対象には、食・記憶・土地とのつながりを論じたブラジルの人類学の研究と、学校給食を定める国と州の規則が含まれます。特に、伝統的な共同体からの公共調達に関するルールと、学校から超加工食品を段階的に排除する州法が重視されています。著者ら自身、この論文を解釈による総合の試みであり、その妥当性は論証の一貫性にあると位置づけています。
主な論点:調理場、給食調理員、献立の見直し
著者らはまず、食べることは社会的で象徴的な行為だという食の人類学の考え方を踏まえます。共に食事をすることは単なるカロリーの分配ではなく、共通のアイデンティティを確かめる営みであり、受け継がれたレシピや調理法、分け合い方のきまりを通じて、共同体は自らについての知を伝えていくと論じています。
そのうえで、学校の調理場を、集団の記憶が日々よみがえる「記憶の場」として捉えます。伝統的な料理を通じて、子どもは手や香り、味を介した記憶を身につけるというのです。中心にいるのが給食調理員です。著者らは、地域の産物や旬の果物、共同体の味の好みを知る調理員を、法令が抽象的に示す「健康的な食習慣」や「地域の食文化」を日々の調理に置き換える文化の仲介者と位置づけます。一方で、先行研究を引きながら、調理員が国の学校給食プログラム(PNAE)の基本法に登場せず、その後の規則でも「食品取扱者」と呼ばれるなど、公的な言説の中でその役割が見えにくくされてきたことも指摘しています。
次に著者らは、フランスの社会学者フィシュラーの「ガストロ・アノミー」という概念を用いて、超加工食品の学校への浸透を論じます。これは、食品産業化によって情報や商品があふれ、何を・いつ・誰と食べるかという共有されたルールが崩れた状態を指します。著者らは、学校が超加工食品を提供すると、工業製品は現代的でおいしく、地元の伝統食は素朴で劣るという序列を、意図せず子どもに教えてしまうと論じています。
法令面では、2025年9月18日に制定されたセアラー州法第19,455号が取り上げられています。著者らの整理によれば、この法律は州内の公立・私立学校から超加工食品と加糖食品を排除するもので、学校内での提供・販売・広告を禁じ、学校周辺の露店にもその禁止を広げています。市の公立学校は国の規則が定める移行期限に従い、2027年度には加工されていないか最小限の加工にとどまる食品を100%とすることが目標とされ、私立学校や委託の売店には2年間の適応期間が設けられています。著者らはこの法律を、衛生上の規範であると同時に文化政策でもあり、地域の生物多様性に根ざした産物や地域の知恵が学校の日常に入る道を開くものだと評価しています。ただし、その実効性は監督、市への技術支援、そして共同体が供給者として政策に参加できるかどうかにかかっているとも述べています。
さらに著者らは、生産者と学校を近くで直接結ぶ「短い流通経路」が、家族農業からの調達を優先する法的な仕組みに支えられて、地域の団体の経済的な自立を強め、学校給食を土地を奪われることへの防壁にもしていると論じています。
研究が示すこと
著者らは結論として、地域の文化に合った学校給食は、伝統的な共同体が尊厳をもって自分たちの土地に住み続けるための条件であり、セアラー州の半乾燥地帯や沿岸部における社会正義の手段であると主張しています。
この論文が伝えるのは、給食の皿に何が載るかという問題が、栄養だけでなく、誰の知恵が尊重され、どの暮らしが受け継がれるかという問題につながっているという視点です。著者らは、給食を小さな問題として扱うことは、伝統的な共同体の知恵と暮らしを軽んじてきた長い歴史を繰り返すことになると述べ、学校の調理場を歴史的な償いと社会正義のための政治的な空間として捉えるよう呼びかけています。
原著論文の著者・所属:Antonio Renaldo Gomes Pereira、Antonio Narcélio Machado Portela、Janicleia Alves da Silva、Antonia Artemir Gonçalves Rufino、Maria Rozilene de Sousa Costa、Maria Amélia Gonçalves de Sousa、Marcio Gleicon Farias de Sousa
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Antonio Renaldo Gomes Pereira, Antonio Narcélio Machado Portela, Janicleia Alves da Silva, et al. EATING IS A POLITICAL ACT: THE PNAE AND ETHNO-CULTURAL EMANCIPATION IN TRADITIONAL TERRITORIES OF CEARÁ. Artefactum 2026-10-06. DOI: 10.23900/artefactum.v25i11.4536. 原著ライセンス:CC BY.