牛から搾ったばかりの生乳は時間が経つと乳酸菌の働きで酸性化し、酸度が上がる。この酸っぱさを消すために炭酸塩などのアルカリ性の中和剤をひそかに混ぜる不正行為が、新興国の一部地域で問題になっている。中和剤そのものが直接の毒性を持つかどうかとは別に、この行為が牛乳の衛生状態そのものと関係しているのかは、実際の流通現場のデータではあまり調べられてこなかった。今回紹介する研究は、この中和剤混入と微生物学的な品質との関係を、現場から集めた生乳サンプルを使って検証したものである。
何を、どう調べたのか
研究チームは2024年7月から9月にかけて、イラン北西部の中でも品質リスクが高いとされる生乳の供給ルートから、牛の生乳サンプルを150件集めた。これらのサンプルに対し、中和剤が混入していないかを調べる化学的なスクリーニングに加え、pHなどの理化学的な性質の測定、微生物学的な検査、さらにバチルス・セレウス(Bacillus cereus)という菌がバイオフィルム(菌が集団で形成する膜状の構造)を作る能力の評価、そして牛乳に本来備わる抗菌システムであるラクトペルオキシダーゼ(LP-s)の活性測定までを組み合わせて、化学的な不正と微生物学的な安全性の関連を多角的に確認した。
研究でわかったこと
150件のうち14.67%のサンプルで中和剤の混入が検出された。そして中和剤が検出されたサンプルでは、いくつかの傾向がまとまって見られたという。具体的には、pHが高くなっていたこと、牛乳が本来持つ抗菌作用であるLP-s活性が低下していたこと、生きた細菌の総数(総生菌数)が増えていたこと、メチレンブルー還元試験(牛乳の鮮度・細菌活性を簡易的に見る検査で、還元にかかる時間が短いほど細菌活動が活発とされる)での還元時間が短くなっていたこと、そしてバチルス・セレウスによるバイオフィルム形成が強まっていたことである。研究チームはこれらの結果から、中和剤混入がLP-sという牛乳自身の防御機構を弱め、細菌が増えやすい環境を作っている可能性を指摘している。
この研究の位置づけ・読むうえでの注意
本研究はイラン北西部の特定の供給ルートから集めた150件のサンプルを対象にした調査であり、得られた関係性はあくまで「関連」として報告されたものであって、中和剤混入が微生物汚染を引き起こす、という因果関係を直接証明したものではない。また、この調査結果が日本を含む他地域の生乳流通にそのまま当てはまるかどうかは、この論文からは判断できない。著者らは今回の知見を踏まえ、現場で使える簡易センサー(アプタセンサー)や、ブロックチェーンを使った流通履歴の追跡といった技術が、資源の限られた供給網での牛乳の不正混入監視や安全性向上に役立つ可能性があるとして、今後の応用の方向性として提案している。
まとめ
この研究は、生乳への中和剤混入という化学的な不正行為が、牛乳自体の抗菌力の低下や細菌数の増加、特定菌のバイオフィルム形成の強化といった微生物学的な品質悪化と合わせて観察されたことを示すものである。一つの地域・一つの調査に基づく報告であり、結論が確定したわけではないが、食品の安全管理を考えるうえで、化学的な検査と微生物学的な検査を組み合わせて見る視点の重要性を示す事例といえる。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Mir‐Hassan Moosavy, Mahsa Mokarian, Asma Tarighi. The neutralizer-microbial hazard nexus in raw milk: association of neutralizer adulteration (14.7%) with process hygiene failures (60%). フード・リサーチ・インターナショナル・トランスレーショナル・リサーチ (2026). DOI: 10.1016/j.frintr.2026.100003. 原著ライセンス: cc-by-nc-nd.