味噌や漬物、パンの発酵にはさまざまな微生物が関わりますが、塩分や乾燥に強い環境で生き延びる酵母は限られています。今回紹介する研究は、Hyphopichia burtonii(ヒフォピキア・ブルトニイ)という酵母に注目し、これがパンの品質を落とす『腐敗酵母』として知られる一方で、世界各地の伝統的な発酵食品やスターター(発酵種)でも重要な役割を果たしていることを、これまでの研究報告を整理してまとめたものです。著者は日本の山形県農業総合研究センターに所属する研究者です。
塩・乾燥・高温に耐える珍しい酵母
H. burtoniiは自然界に広く分布し、乾燥や高塩分の環境でも生き延びる能力を持つとされています。この酵母はもともと、発酵パン製品に不快なにおいを生じさせる食品腐敗微生物として知られており、パンの表面に白く粉っぽい欠陥(チョーキーイースト)を生じさせる酵母のひとつでもあります。一方で、ネパールの伝統的な発酵スターター『ムルチャ』や韓国の『ヌルク』の主要な酵母種としても報告されており、日本の乾麺やイタリアのハム、6か月間密閉保存した白米からも見つかっています。細胞は卵形で、胞子はキャップ状の形をしているとされます。研究では、この酵母が10〜20%程度という高い塩分濃度でも生育できることや、最適な生育温度が25℃、最大でも40℃まで増殖できる菌株が報告されています。さらにココア発酵豆から分離された菌株では、46℃で2時間という中程度の熱ストレスを受けるとトレハロースを蓄積し、これが熱や乾燥への抵抗性を高める仕組みとして働くと考えられています。
塩分のある発酵での役割――稲庭うどんとサラミ
日本の伝統的な手延べ乾麺『稲庭うどん』は、小麦粉と塩水から作る生地を一晩熟成させて作られます。この生地からH. burtoniiが分離されており、糖からガスを発生させ、可溶性デンプンを利用する性質が確認されています。稲庭うどんの断面をX線CTで観察すると、直径10〜90µm超の空隙(気泡)が生地の延ばし方向に伸びて存在しており、この空隙の割合が増えるほど食感(歯ごたえ)が変化することが分かっています。ただし空隙率が10%を超えると噛みごたえがかえって落ちる傾向も報告されており、発酵で生じる炭酸ガスの量を塩分濃度や熟成温度・時間で調整する昔ながらの製法には理にかなった面があるとされています。また、この稲庭うどんの生地を5%の塩水で培養することで、H. burtoniiを主体とする新しいパン用スターター(乳酸菌の割合は低い)が作られ、これを通常のパン酵母と組み合わせるとパンの比容積(ふくらみ)や柔らかさが増したことも報告されています。H. burtoniiはアミラーゼ活性を持つため、糖を加えなくても小麦粉生地を発酵させられ、強力粉・薄力粉のいずれを使っても比容積2.0〜2.2cm³/gのパンを作れたとされています。もう一つの例がブラジル南部の職人的な製法によるサラミです。通常サラミの塩分濃度は3〜5%程度ですが、このサラミでは2.5%とやや低めの塩分が使われています。熟成過程の微生物をDNA解析で追跡した研究では、熟成0日目にはYarrowiaやPichia、Fusariumなどが優勢だったのに対し、14日目にはHyphopichia属が73.85%を占めるようになり、28日目にはH. burtoniiが73.73%、Aspergillus cibariusが14.61%、Wallemia mellicolaが6.30%を占めるまでになったと報告されています。乾燥熟成させたハムの表面でも、油脂を塗った後でさえH. burtoniiが高密度で存在していたとする報告や、H. burtoniiを含む複数の酵母株がPenicillium nordicumというカビによる毒素(オクラトキシンA)の生成を抑える拮抗作用を示したという報告もあり、塩分がある環境でこの抑制効果が高まる傾向も確認されています。
塩を使わない発酵と香り成分づくり――ヌルク・白酒との関わり
H. burtoniiのもう一つの特徴はアミラーゼ(デンプン分解酵素)を持つことです。ネパールのムルチャ、韓国のヌルク、インドネシアのラギ、中国の白酒(バイジウ)用スターター『大曲(ダーチュー)』などは、塩を使わずに穀物を固体のまま発酵させ、その後乾燥させて作られます。この乾燥工程で水分活性が下がる環境こそが、H. burtoniiのような塩・浸透圧耐性を持つ酵母にとって生存しやすい条件になっていると考えられています。大曲の微生物群を解析した研究では、Saccharomyces cerevisiae、H. burtonii、Clavispora lusitanaeという3種の酵母が、りんごのような香りを持つエチルカプロン酸を高い割合で生成することが確認されており、香り成分を強化した大曲では発酵後半にエステル類の含有量が高まったとされています。また、白酒生産環境から分離されたH. burtonii YHM-G株は、しょうゆやチーズ、ビールなどにも含まれる香気成分3-メチルチオ-1-プロパノール(3-Met、においの閾値は1〜3ppmと低い)を多く生成することが報告されています。中国の別のスターター『小曲(シャオチュー)』でも、H. burtoniiを含む4種の酵母が確認されています。一方でH. burtoniiにはリスクも報告されており、コウモリの皮膚感染症の原因になった例や、2021年には腹膜透析中の患者で腹膜炎の原因菌として検出された症例も報告されています。また食品工場では空気中を漂う腐敗性のカビ・酵母として扱われ、過酢酸などの殺菌剤や、PDA培地を用いた空中浮遊菌のモニタリングによる衛生管理の必要性も論じられています。
この研究の位置づけと注意点
この論文は新たな実験を行ったものではなく、H. burtoniiに関するこれまでの複数の研究報告を集めて整理した総説(レビュー)です。そのため、個々の数値や現象は元となった各研究の条件下で得られたものであり、すべての菌株や食品に同じように当てはまるとは限りません。著者自身も、H. burtoniiがなぜ・どのような条件で香り成分を作るのか、エチルカプロン酸の生合成経路がこの酵母に特有のものか近縁種にも共通するのかなど、まだ解明されていない点が残っていると述べています。塩分や香りづくりの面での活用可能性が示唆されてはいますが、特定の食品への応用効果を断定するものではない点に留意が必要です。
H. burtoniiは、パンでは望ましくない酵母として警戒される一方、稲庭うどんやサラミ、ヌルクや大曲といった発酵食品では風味形成に関わる存在として報告されており、塩や乾燥に強い性質をどう活かすかという視点から、今後の発酵食品づくりの一つの手がかりになりうる酵母として紹介されています。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Naganori Ohisa. Traditional Foods and Starters Utilizing Salt and Osmo-Tolerant Yeast Hyphopichia burtonii. マイクロオーガニズムズ (2026). DOI: 10.3390/microorganisms14081736. 原著ライセンス: cc-by.