日本主導:この研究は、筆頭著者・責任著者、または著者の主要所属が日本の研究機関である研究です。

掲載誌:Organizational Dynamics

ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: 論文PDF

「変革すべき」という常識への問い

市場が縮小している業界の企業は、生き残るために事業の方向転換や多角化、変革を図るべきだと考えられがちです。経営戦略の研究でも、環境の変化に合わせて資源を組み替える力や、価値の生み出し方を見直し続けることが重視されてきました。

これに対して著者らは、伝統へのこだわりが戦略と組織のあり方そのものを形づくる企業は、別の論理で動いていると考えました。論文ではこうした企業を「レガシー(受け継いだ伝統)重視型企業」と呼んでいます。特徴は三つです。歴史的な連続性を守り続けること。土地や伝統、長年の技能と結びついて正統性を得ていること。そして、財務的な成果だけでなく、その事業が何を表しているかに沿って意思決定することです。著者らは、これは単に長く続く企業という意味ではなく、家族経営に限られるものでもないと述べています。

研究の目的は、こうした企業が長期にわたる市場縮小にどう対応しているのかを明らかにすることです。変化を拒む姿勢を単なる「惰性」とみなすのではなく、伝統がどのように意思決定を方向づけているのかに注目しました。

日本酒の蔵元12社を比較

研究チームが対象に選んだのは、日本酒業界です。共通して市場縮小の圧力を受けながら、対応は蔵元ごとに大きく異なります。伝統的な製法と地元市場を守り続ける蔵もあれば、高級路線へ進む蔵、文化体験の分野に広げる蔵、業務の一部を選んで近代化する蔵もあります。単一の適応パターンではなく、複数の戦略の道筋を見いだすのに適した業界だと著者らは説明しています。

調査対象は、長い歴史と伝統的な製法、文化的・地域的な重要性を備え、市場縮小への対応に違いが見られる12の蔵元です。統計的な代表性を目指したのではなく、事例同士を比べてパターンを見いだし、理論の枠組みを組み立てることを狙った質的研究です。

著者らは、公開資料、公式サイト、歴史記録、業界報告、報道などを集めました。可能な場合は内部資料も参照しています。さらに2024年から2025年にかけて全12蔵を訪問し、製造現場や蔵見学、販売スペースなどを観察しました。各蔵の主要な意思決定者1人ずつには、事業の歴史や代々の取り組み、業界と市場の見方について聞き取りを行いました。各蔵の経緯をまとめたうえで蔵同士を繰り返し比べ、「どこまでの変化なら受け入れられるか」の考え方の共通点と違いを整理しました。

伝統を生かす四つの道筋

分析の結果、研究チームは伝統の生かし方として四つの戦略の道筋を示しました。

一つ目は「伝統の保存」です。受け継いだ製法や制度、取引関係をできるだけ忠実に再現し続けます。例に挙がっているのは剣菱で、木や藁でできた醸造道具を社内の職人に作らせています。この道筋は本物らしさによる強い信頼と差別化をもたらします。一方で、縮小する国内需要への依存や、希少な職人技能に頼る拡大しにくい体制、選べる戦略の幅が狭まるといった代償を伴うと論文は指摘しています。

二つ目は「伝統の発展」です。伝統の意味は保ちながら、品質向上や高級化、販売先の絞り込みなどでその市場価値を高めます。例として挙げられたのは、値引きしない販売店に限って卸す緑川です。ただし、限られた需要への依存が強まり、高級品の消費の浮き沈みの影響を受けやすくなるとされます。

三つ目は「伝統の継承と伝達」(スチュワードシップ)です。酒を造って売るだけでなく、観光や教育、もてなしを通じて文化的な意味を伝えることにまで組織の役割を広げます。例は蔵見学や講座を行う神戸酒心館です。体験や物語を通じて伝統が伝えられるようになるほど、見せている姿と実際の営みとの一貫性を保つ難しさが増すといいます。

四つ目は「伝統の両立」(両利き)です。組織の存在目的は変えずに、新しい製品や市場、仕組みを選んで取り入れます。例は三宅本店です。核となる部分と変えてよい部分を見極める力が、中心的な戦略能力になるとされます。

著者らはこれらを二つの軸で整理しています。一つは、伝統を守るべき基準とみなすか、将来の発展のための資源とみなすかという「時間の向き」です。もう一つは、行動を酒造業の伝統的な範囲内にとどめるか、その外へ広げるかという「業界の境界」です。

問題は「変わるかどうか」ではなく「どう変わるか」

著者らによれば、蔵元ごとの戦略の違いは、資源や市場環境の差だけでは主に説明できません。伝統のどこを守り、どこを変えてよいと考えるかという経営者の解釈の違いが反映されていると論文は述べています。四つの道筋を分けるのは変化の量ではありません。その変化が伝統に照らして正当かどうかをどう判断するかという論理です。

この研究は、伝統を重んじる企業を一様に保守的とみなす見方に対し、伝統が受け継がれた資産であるだけでなく、戦略を判断する枠組みとして働きうることを示しました。著者らは、ワイン造りや高級品、職人による生産、文化遺産観光など、伝統と需要の変化の間で揺れる他の分野にも、この枠組みが当てはまる可能性があると述べています。市場の縮小に直面したとき、変革だけが答えではないこと、そして伝統の解釈によって複数の筋の通った道がありうることを、この研究は伝えています。

原著論文の著者・所属:Henry Shi(School of Management, Adelaide University, 10 Pulteney Street, Adelaide, SA 5005, Australia)、Yuichiro Kubo(Graduate School of Business Administration, Kobe University, 2-1 Rokkodai, Nada, Kobe 657-8501, Japan)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Henry Shi, Yuichiro Kubo. Not every business wants to transform: Strategic pathways for legacy-driven businesses in market decline. Organizational Dynamics 2026-08-10. DOI: 10.1016/j.orgdyn.2026.101261. 原著ライセンス:CC BY.