この研究は、中国の研究機関の研究論文です。
掲載誌:Frontiers in Nutrition
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜNAD+に注目するのか
高齢化にともない、アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患、そして加齢による認知機能の低下が世界的な健康課題となっています。論文の著者は、現在使える治療の多くが症状を和らげる段階にとどまっていることを指摘し、複数の疾患に共通する「上流の生物学的仕組み」を探ることが重要だと述べています。
その共通の鍵として取り上げられているのが、NAD+(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)という物質です。NAD+は細胞の中でエネルギーを取り出す反応を助ける補酵素で、ミトコンドリアでのエネルギー産生、DNAの修復、カルシウムを介した情報伝達など、幅広い働きに関わります。著者は、加齢とともにNAD+の量が徐々に減ることが、脳の老化を結びつける中心的な仕組みになりうるとして、この総説を組み立てています。
何をどう調べたか
本論文は、系統的レビューやメタ解析ではなく、既存の知見を統合する「ナラティブレビュー(総説)」として書かれています。著者は透明性を高めるため、構造化した文献検索の手順を示しています。PubMed/MEDLINE、Web of Science、Scopus、Embaseの4つのデータベースを対象に、各データベースの収録開始から2026年7月までの文献を検索し、NAD+やその前駆体、脳の老化、認知機能低下、神経変性疾患、運動、腸内細菌叢に関する用語を組み合わせた検索式を用いました。さらに、選んだ論文や近年の総説の引用文献リストも手作業で確認しています。
採用の基準は、NAD+代謝と加齢にともなう神経系の変化(認知機能の低下、神経細胞の機能障害、神経炎症、ミトコンドリアの障害、シナプスの変化など)との関連を検討した研究であることです。細胞や動物を使った前臨床研究とヒトを対象とした研究の両方を含めていますが、著者は、細胞モデル・動物実験・ヒト臨床研究から得られた知見を意図的に区別して記述し、ヒトへの当てはめを広げすぎないようにしたと説明しています。
総説が整理した主な内容
まずNAD+が減る仕組みです。NAD+は、トリプトファンから作る経路、ニコチン酸から作るプライス・ハンドラー経路、そしてニコチンアミドを再利用するサルベージ経路という3つの経路で作られ、哺乳類の組織では主にサルベージ経路が担っています。加齢とともに、この経路の律速酵素であるNAMPTの働きが低下する一方、NAD+を消費する酵素であるCD38やPARPの活動が高まります。DNA損傷が続くとPARPが活性化し続けてNAD+を消費し、加齢にともなう慢性的な炎症(インフラメイジング)は免疫細胞や神経系の細胞でCD38の発現を高めます。著者は、CD38の加齢にともなう増加とNAMPT活性の低下を、比較的一貫して報告されている仕組みとして挙げています。
ただし著者は、NAD+の減少が脳のすべての領域や細胞で同じように起こるわけではないと強調しています。神経細胞はエネルギー需要が非常に高くミトコンドリアに依存するため影響を受けやすく、一方でミクログリアはNAD+を分解するCD38を多く発現し、アストロサイトは代謝の支援や酸化還元バランスの維持を、オリゴデンドロサイトは髄鞘(神経線維を包む構造)の維持を担うなど、細胞ごとに異なる性質を持ちます。また著者は、骨格筋ではNAD+が大きく減っても筋機能や個体の老化が大きく乱れなかったとする研究に触れ、組織による反応の違いを指摘しています。そのうえで、組織全体のNAD+量を回復させること自体よりも、シナプスの健全さを保つことが神経保護の鍵になりうると述べています。
次にビタミンB3の代謝物です。ニコチン酸(ナイアシン)、ニコチンアミド(NAM)、ニコチンアミドリボシド(NR)、ニコチンアミドモノヌクレオチド(NMN)は、いずれもNAD+の材料(前駆体)となる物質で、吸収のされ方、体内での動き、組織への分布、代謝経路が異なります。ナイアシンは脂質を下げる作用で長く臨床使用されてきましたが、プロスタグランジンを介した「ほてり(フラッシング)」という副作用が使用を制限することがあります。NAMは入手しやすく中枢神経系に届くと報告される一方、濃度が高いとフィードバックによってサーチュインの働きを抑える可能性が指摘されています。NRとNMNは、体内のNAD+関連物質を増やす効果と初期のヒト研究で報告された安全性から関心を集めていますが、著者は、血中などの指標が上がることと、脳の特定の領域でNAD+が回復することは同じではなく、神経学的な有効性を示す臨床的証拠はまだ不十分だと繰り返し注意を促しています。
著者が特に丁寧に区別しているのは、作用の道筋です。NAD+そのものが神経の可塑性や認知に直接働きかけるのではなく、NAD+を使う酵素群──ミトコンドリアの品質管理や抗酸化に関わるサーチュイン(特にSIRT1、SIRT3)、DNA修復を担うPARP、NAD+を分解するCD38──を介した下流のシグナル伝達によって、ミトコンドリア機能、ゲノムの安定性、炎症の収束、細胞のストレス応答が調節される、という整理です。アルツハイマー病の実験モデルではNAD+の補充が認知障害を和らげ、神経細胞の脱落を減らし、シナプス機能を改善したと報告されていますが、同様のことが患者で起こるかは未確立だとしています。
3つ目の要素が運動です。著者は、運動をNAD+代謝と脳の回復力に関わる強力な生理的刺激として位置づけています。運動はエネルギー状態を感知するAMPKやサーチュインのシグナルを活性化し、ミトコンドリアの新生を促し、脳の血管機能を改善し、BDNF(脳由来神経栄養因子)などを介した神経栄養シグナルを高めます。また、運動による代謝ストレスは、血管新生やミトコンドリアの適応、神経細胞の耐性に関わる転写調節因子HIF-1αを調節し、実験的には運動による神経保護にHIF-1αのシグナルが必要であることが示されています。ただし著者は、運動とNAD+前駆体の併用効果、どの運動様式・強度・期間が最適かはまだ発展途上の研究課題だと述べています。
4つ目が腸内細菌叢です。加齢では、細菌の多様性の低下、腸管の透過性の上昇、免疫シグナルの変化、代謝産物の変化が起こります。著者は、腸内細菌叢が単にNAD+関連の介入を受ける側なのではなく、ビタミンB3前駆体の利用しやすさを変えること、微生物によるトリプトファン代謝を調節すること、NAD+に関わる代謝物を作ること、宿主の炎症や代謝の経路を調節することを通じて、NAD+の恒常性そのものに寄与しうると述べています。運動や栄養介入が腸内細菌の構成と代謝活動を変えうることから、生活習慣・微生物生態・NAD+代謝の相互作用が想定されます。一方で著者は、微生物叢の変化と脳内のNAD+の利用可能性との間の直接的な因果関係を示す証拠はなお乏しく、長期にわたるヒト研究が必要な重要な溝(トランスレーショナル・ギャップ)だと明言しています。
この総説が示す意味
著者が描くのは、ビタミンB3由来の前駆体、運動、腸内細菌叢という3つの要素が、NAD+の利用可能性を通じて、ミトコンドリアの働き、炎症の制御、神経細胞の機能につながりうるという統合的な見取り図です。この枠組みの利点は、老化の個別の症状を一つずつ追うのではなく、複数の特徴に同時に関わりうる上流の仕組みに目を向けられる点にあります。
同時にこの総説は、その見取り図が主に機序の研究と前臨床データに支えられたものであり、現時点でNAD+を標的とする介入がヒトの神経変性疾患を予防・治療できることを示す証拠ではない、という留保を一貫して置いています。最適な投与の仕方、長期的な安全性、組織ごとに異なる反応、臨床的に意味のある指標、そしてNAD+の回復が認知機能の低下を「防ぐ」のか「遅らせる」にとどまるのかといった点は、依然として大きな不確実性として残されています。基礎的な代謝の仕組みと、人の脳の健康との間にどれだけの距離があるのかを見定めること自体が、この分野の次の課題として示されています。
著者:Wu Zhang(ollege of Physical Education, Yan’an University, Yan’an, Shaanxi, China)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Wu Zhang. Restoring NAD+ pathways in brain aging and neurodegenerative diseases: roles of vitamin B3 metabolites, gut microbiota, and exercise in cognitive health. Frontiers in Nutrition 2026-09-23. DOI: 10.3389/fnut.2026.1865556. 原著ライセンス:CC BY.