この研究は、中国の研究機関の研究論文です。
掲載誌:Food Science & Nutrition
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的
炎症性腸疾患(IBD)は腸に炎症が起こる病気で、腹痛や下痢、体重減少といった症状が現れます。研究チームによれば、世界で約800万人が影響を受けており、都市化や生活様式の変化を背景に有病率は上昇し続けているとされています。腸の上皮バリアの機能低下、腸内細菌のバランスの乱れ、免疫応答の異常が中心的な病態と考えられています。既存の治療薬には効果が確認されている一方で、免疫抑制や骨粗しょう症、高血糖、肝機能障害といった副作用が使用を制限するため、著者らは重い副作用の少ない新しい選択肢が求められていると述べています。
そこで注目されたのがエルゴチオネイン(EGT)です。これはヒスチジンという必須アミノ酸から作られる天然の含硫黄化合物で、食品由来の抗酸化物質にあたります。1909年に麦角菌から見いだされ、その後キノコ類や野菜にも広く含まれることが分かってきました。ヒトの体内では作ることができず食事から取り入れる必要がある成分だと論文は説明しています。抗炎症・抗酸化の作用や腸内細菌への働きかけが報告されてきたものの、IBDに対する役割と仕組みはまだ十分に調べられていませんでした。本研究は、この空白を埋めることを目的としています。
何をどう調べたか
研究チームは二つの実験系を組み合わせました。一つは細胞を使った試験管内の実験で、ヒトの腸の細胞に近い性質をもつCaco-2細胞に、細菌の外膜成分であるリポ多糖(LPS)を加えて炎症を起こした状態を作りました。予備実験の結果、LPSは100μg/mL、EGTは100・200・500μg/mLの三段階を以後の実験に用いることが選ばれています。
もう一つはマウスを使った実験です。デキストラン硫酸ナトリウム(DSS)を飲み水に加えて大腸炎を起こすモデルを用い、60匹を対照群、DSS群、そしてEGTを低用量(30mg/kg)・中用量(75mg/kg)・高用量(100mg/kg)与える三群の計5群に分けました。EGT群では14日間毎日EGTを投与し、8日目から14日目にかけて2.5%のDSSを与えています。体重や便の状態を毎日記録して疾患活動指数(DAI、病気の重さを点数化した指標)を算出し、大腸の長さや組織の顕微鏡所見、血中の炎症性物質の量を調べました。さらに16SリボソームRNA遺伝子の解析によって、腸内にどんな細菌がどれくらいいるかも調べています。
報告された主な結果
細胞の実験では、LPSによって増えた炎症性物質(IL-1β、IL-6、TNF-α)が、EGTの投与によってさまざまな程度で抑えられたと報告されています。また、細胞どうしをすき間なくつなぎ止める「タイトジャンクション」を構成するタンパク質(ZO-1、オクルディン、クローディン-1)は、LPSによって発現が下がり、蛍光顕微鏡で見た分布も弱まったり失われたりしましたが、EGTを加えるとこれらの信号が強まりました。ただし著者らは、これらの効果が用量に単純に比例したわけではなく、低用量でオクルディンが最も強く、高用量でZO-1とクローディン-1が高いといったように、タンパク質ごとに反応の仕方が異なった点を指摘しています。
マウスの実験では、DSSによる体重減少、DAIの上昇、脾臓の重量指標の増加、大腸の短縮が見られましたが、EGTを与えた群ではこれらの変化が部分的に和らぎ、高用量群で最も明らかだったと報告されています。大腸組織の顕微鏡観察でも、DSS群では粘膜の破壊や炎症細胞の浸潤が広範に見られたのに対し、EGTの用量が上がるにつれて構造の回復が進み、高用量群ではほぼ正常に近い状態だったとされます。血液中のTNF-α、IL-6、IL-1βに加え、免疫グロブリンのIgMとIgAも、中用量・高用量で有意に低下しました。
腸内細菌については、DSSによって細菌の種類の豊かさと均等さを示す指標(Chao1指数、シャノン指数)が下がり、群集全体の構成も対照群から大きく離れましたが、EGT投与群ではこれらが対照群に近づく傾向が見られました。門のレベルではDSSで減ったフィルミクテスが増え、増えていたプロテオバクテリアやウェルコミクロビオータが減少しました。属のレベルでは、腸内環境の乱れと結びつけられているエシェリキア・シゲラが減り、短鎖脂肪酸を作る仲間として知られるラクノスピラ科NK4A136群が増えるといった変化が報告されています。
この報告が意味すること
著者らは、EGTが炎症の抑制、腸のバリアに関わる指標の改善、大腸組織の損傷の軽減、腸内細菌の構成の調整という複数の面から、実験的な大腸炎を和らげたと結論づけています。単一の経路ではなく、複数の標的に同時に働きかけている可能性が示された点が、この研究の主要な位置づけです。
同時に、論文は自らの限界もはっきり述べています。細胞実験はCaco-2細胞のみで行われ、腸粘膜の複雑な細胞構成や免疫環境を再現しきれないこと、用いたLPS濃度は細胞の生存率も下げるため細胞毒性の影響を考慮する必要があること、マウスの実験は急性の大腸炎モデルであり、ヒトのIBDがもつ慢性・再発性の性質を完全には表さないことです。また16SリボソームRNAの解析は細菌の種類を知るには適していても機能の解像度は限られるため、腸内細菌の変化と大腸炎の改善との因果関係はまだ検証されていないとしています。今回示されたのは、動物と細胞を用いた実験の段階で、EGTが腸の炎症に対して複数の経路から働きうるという観察結果です。
著者:Lin Wang(College of Food Science Northeast Agricultural University Harbin China)、Yao Song(College of Food Science Northeast Agricultural University Harbin China)、Yucong Wang(College of Food Science Northeast Agricultural University Harbin China)、Zhixin Xie(College of Food Science Northeast Agricultural University Harbin China)、Xihan Xu(College of Food Science Northeast Agricultural University Harbin China)、Jianchun Han(College of Food Science Northeast Agricultural University Harbin China)、Rongxu Liu(Heilongjiang Institute of Green Food Science Harbin China)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Lin Wang, Yao Song, Yucong Wang, et al. A Multi‐Target Approach to Colitis: Ergothioneine Promotes Recovery by Restoring the Intestinal Barrier, Reducing Inflammation, and Remodeling the Microbiota. Food Science & Nutrition 2026-09-01. DOI: 10.1002/fsn3.72294. 原著ライセンス:CC BY.