著者の所属・活動拠点の国は、ブラジルです。
掲載誌:Environmental Monitoring and Assessment
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的
多環芳香族炭化水素(PAH)は、化石燃料などが不完全に燃えたときや、原油の流出・船舶の往来・工場排水などから環境に入る化学物質のグループです。分解されにくく生物の脂肪に蓄積しやすいうえ、一部には変異原性や発がん性があるため、海洋汚染を監視するうえで重要な対象とされています。
ブラジル南東部リオデジャネイロ州のグアナバラ湾は生産性の高い重要な河口域ですが、未処理の下水や周辺の石油関連施設の影響を強く受けています。また2019年には、ブラジル北東部を中心に3000kmを超える海岸を汚染した大規模な原油流出が起き、汚染はリオデジャネイロ州の北部沿岸にまで達しました。
研究チームは、海水をろ過して餌をとり汚染物質を体内にためやすい二枚貝ペルナ・ペルナ(Perna perna、イガイ科の貝)に注目しました。この貝は地域の小規模漁業にとって経済的に重要な資源であり、汚染の指標生物としても使われています。ただし、脂質やタンパク質の多い貝の組織から微量のPAHを正確に測るのは難しく、手間や費用もかかります。そこで著者らは、より簡便な抽出法と精製工程、ガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS)を組み合わせた分析法を整え、その性能を確かめたうえで、原油流出から約2年後の貝に含まれるPAHを調べました。
何をどう調べたか
分析法の中心は、もともと農薬の残留分析のために開発された「QuEChERS(キャッチャーズ)」と呼ばれる手法です。少量の溶媒と塩を使って試料から目的物質を手早く取り出す方法で、研究チームはこれに固相抽出(SPE)による精製工程を加え、貝の組織に多い脂質などの邪魔な成分を取り除いてからGC-MSで測定しました。抽出にはアセトニトリルとジクロロメタンを1対1で混ぜた溶媒を用いています。対象としたのは、欧州で優先的に監視されている物質を含む18種類のPAHです。
貝は、グアナバラ湾に隣接する沿岸のイタイプ、コパカバーナ、バーハ・ダ・チジュカ、レクレイオ・ドス・バンデイランテスの4か所の小規模漁業の拠点で、2021年9月から2022年6月にかけて四季ごとに漁業者から購入しました。時期と場所によっては採取できる貝がなかったため、合計210個体を約20個体ずつまとめた11試料が分析され、各試料は3回ずつ測定されました。濃度はすべて生の組織の重さあたりで示されています。
分析法の性能確認では、貝の成分が測定値をゆがめないか(マトリックス効果)、濃度と信号の比例関係、既知量を加えた試料からどれだけ回収できるか、測定のばらつき、検出できる最小濃度(検出限界)などを、国際的な指針を参照して評価しました。また、検出限界未満の値は、世界保健機関(WHO)の推奨に従って検出限界の半分の値に置き換えて統計処理しています。
主な結果
論文によると、純粋な溶媒で作った検量線と貝の抽出液で作った検量線を統計的に比べたところ、どの物質でも有意な差は見られず、貝の成分による測定への影響ははっきりとは認められませんでした。それでも研究チームは、わずかに信号が強まる傾向があったことから、慎重を期して貝の抽出液を使った検量線で定量しています。
一方で、ベンゾ(j)フルオランテンとベンゾ(k)フルオランテンの2物質は、装置上で同じ時間に現れて分離できなかったため、定量の対象から外されました。インデノ(1,2,3-cd)ピレンも、添加したどの濃度でも定量できる信号が得られず除外されています。残りの多くの物質では、回収率がおおむね50〜110%、ばらつきが20%未満と、環境監視に用いる基準を満たしたと報告されています。発がん性の指標として重視されるベンゾ(a)ピレンはばらつきが20.8〜22.3%とわずかに基準を上回りましたが、その重要性から、不確かさがやや大きいことを断ったうえで報告対象に残されました。検出限界は物質により1gあたり0.009〜1.147ナノグラムの範囲でした。
実際の貝の分析では、18種類のうち検出限界を上回ったのは5種類だけで、ほとんどの測定値は検出限界未満でした。検出された物質のうち、ベンゾ(a)アントラセンは4か所すべてで約0.261ng/g、5-メチルクリセンはコパカバーナとイタイプの一部の季節で平均0.257ng/gでした。ベンゾ(a)ピレンは検出された物質の中で平均濃度が最も高い0.308ng/gで、すべての地点と季節で見られました。著者らは、これらの結果が欧州連合の定める許容限度内にあると述べています。なお、濃度の大半が定量下限を下回ったため、摂取量や健康リスクの指標は信頼できる形で算出できなかったとしています。
この研究が示すこと
研究チームは、検出率の低さは分析法の弱点ではなく、原油流出から約2年後の調査地域の実態を反映したものだと解釈しており、熱帯の海で油由来の汚染物質が中期的に自然に減っていくことを示す既存の知見とも整合するとしています。
この研究は、脂質の多い二枚貝の組織でも、手順を簡略化した分析法で微量のPAHを監視できることを、性能の検証とともに示したものです。同時に、分離できない物質や精度がやや劣る物質があることも明記しており、地域の重要な水産資源である貝を使った汚染監視の手がかりと、その方法の限界の両方を伝えています。
著者:Júlia Vianna de Pinho(Center for Food Analysis (NAL), Technological Development Support Laboratory (LADETEC), Federal University of Rio de Janeiro (UFRJ), Cidade Universitária, Rio de Janeiro, RJ, 21941-598, Brazil. [email protected])、Letícia Tessaro(Center for Food Analysis (NAL), Technological Development Support Laboratory (LADETEC), Federal University of Rio de Janeiro (UFRJ), Cidade Universitária, Rio de Janeiro, RJ, 21941-598, Brazil)、Pamella Talita da Silva Melo(Center for Food Analysis (NAL), Technological Development Support Laboratory (LADETEC), Federal University of Rio de Janeiro (UFRJ), Cidade Universitária, Rio de Janeiro, RJ, 21941-598, Brazil)、Jelmir Craveiro de Andrade(Center for Food Analysis (NAL), Technological Development Support Laboratory (LADETEC), Federal University of Rio de Janeiro (UFRJ), Cidade Universitária, Rio de Janeiro, RJ, 21941-598, Brazil)、Michael Ribas Celano(Laboratory of Ecophysiology and Toxicology of Cyanobacteria, Carlos Chagas Filho Biophysics Institute, Federal University of Rio de Janeiro, Rio de Janeiro, 21949-902, Brazil)、Paloma de Almeida Rodrigues(Center for Food Analysis (NAL), Technological Development Support Laboratory (LADETEC), Federal University of Rio de Janeiro (UFRJ), Cidade Universitária, Rio de Janeiro, RJ, 21941-598, Brazil)、Antonio Eugênio Castro Cardoso de Almeida(National Institute of Health Quality Control, Oswaldo Cruz Foundation, Rio de Janeiro, RJ, 21040900, Brazil)、Rachel Ann Hauser‐Davis(Fundação Oswaldo Cruz, Instituto Oswaldo Cruz, Laboratório de Avaliação E Promoção da Saúde Ambiental, Rio de Janeiro, RJ, Brazil. [email protected])、Carlos Adam Conte-Junior(Center for Food Analysis (NAL), Technological Development Support Laboratory (LADETEC), Federal University of Rio de Janeiro (UFRJ), Cidade Universitária, Rio de Janeiro, RJ, 21941-598, Brazil. [email protected])
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Júlia Vianna de Pinho, Letícia Tessaro, Pamella Talita da Silva Melo, et al. Development of a short and sensitive QuEChERS-SPE-GC-MS method for polycyclic aromatic hydrocarbon (PAH) biomonitoring in Perna perna (Linnaeus, 1758) mussels from an oil-impacted tropical estuary. Environmental Monitoring and Assessment 2026-10-12. DOI: 10.1007/s10661-026-15980-0. 原著ライセンス:CC BY.