発酵食品づくりに使われる酵母の一種、デバリオミセス・ハンセニイ(Debaryomyces hansenii)は、食品衛生上は安全に利用されてきた微生物です。ところが研究チームは以前、この酵母をクローン病患者の腸潰瘍部から分離したことがあり、食品由来の株と患者由来の株のあいだにどのような違いがあるのかが新たな疑問として浮かんでいました。今回の研究は、この酵母の遺伝子操作の手法を発展させたうえで、株ごとの性質の違いを生む遺伝子を探ったものです。

研究チームはまず、アグロバクテリウム(Agrobacterium tumefaciens)を介した形質転換法を使い、食品由来の基準株に対してランダムに遺伝子を破壊するスクリーニングを行いました。この基準株は、コロニーの表面がしわの寄った形状になり、バイオフィルム(微生物が集まって作る膜状の集合体)を形成しやすい性質を持っていましたが、変異体の中には、表面が滑らかで他の物へのくっつきが弱い、クローン病患者由来株に似た性質へと変化したものが見つかりました。複数の変異体で遺伝子挿入が起きた場所を調べたところ、染色体の末端に近い領域にある接着因子(Hyr/Iff様アドヘシン遺伝子)が壊れていることが分かり、この遺伝子はHIL1と名付けられました。

さらにCRISPR-Cas9を使ってHIL1を狙って欠失させたところ、同じように滑らかで付着性の低い性質が再現され、HIL1がバイオフィルム形成や細胞表面の疎水性(水をはじく性質)の高さに必要な遺伝子であることが確かめられました。また、複数のD. hansenii株を集めてゲノムを比較したところ、HIL1の中にある繰り返し配列の長さに株ごとの違いがあり、食品由来株では繰り返しが長い型がバイオフィルム形成の強さと関連していた一方、クローン病患者由来株では繰り返しが短い型が多く、表面への結合も弱いという傾向が示されました。加えて、患者の血清を調べる解析では、HIL1がクローン病患者の血中を循環する免疫グロブリンG(IgG)抗体の標的となっていることも報告されています。

研究でわかったこと

まとめると、HIL1という一つの接着因子遺伝子の繰り返し配列の長さが、この酵母がバイオフィルムを作って表面に付着する能力を左右し、その違いが食品由来株と患者由来株の性質の差にも対応している可能性がある、という結果です。さらに、この接着因子が患者の免疫系から認識される標的にもなっていることが示され、食品中の微生物の表面構造が宿主の免疫反応と結びつきうることを示す一例として位置づけられています。

この研究の位置づけと読むうえでの注意

この研究は、D. hansenii という酵母を遺伝学的に扱いやすい実験系として確立したうえでの一つの成果であり、HIL1の繰り返し配列の長さと株の由来(食品かクローン病患者か)との関連や、HIL1に対する抗体の検出は、あくまでこの論文で報告された範囲の知見です。特定の食品成分やこの酵母が病気の原因になる、あるいは安全性が損なわれると断定するものではなく、一つの研究として今後さらに検証が重ねられていく段階にあるものと理解するのが適切です。

まとめ

この研究では、食品にもクローン病患者の腸にも見られる酵母D. hansenii について、HIL1という接着因子遺伝子が株ごとの付着性やバイオフィルム形成の違いに関わり、患者の免疫系による認識の対象にもなりうることが示唆されました。今後、食品由来微生物の株ごとの性質の違いが宿主との相互作用にどう影響するかを理解するうえでの手がかりになると考えられます。

※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。出典(原著論文):Kevin P. Newhall, Ana V. de Sousa Bezerra, Jay M. Goddard, et al. The role of HIL1 in strain-level adhesion and immune recognition in Debaryomyces hansenii. エムバイオ (2026). DOI: 10.1128/mbio.01107-26.