この研究は、トルコの研究機関の研究論文です。
掲載誌:ACS omega
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: Europe PMC
なぜコメと水田土壌の重金属を測るのか
鉛とカドミウムは、環境中で分解されず、食物連鎖を通じて生物の体内に蓄積していく性質を持つ有害な金属です。論文によれば、これらは工業活動や鉱山開発、リン酸系肥料の使用、排水、大気からの降下などを通じて環境に入り込み、とりわけ農業地域にたまりやすいとされています。
著者らが水田に注目する理由は、水を張った状態が続く土壌では金属の動きやすさや溶けやすさが大きく変わりうるためです。論文では、酸素の乏しい環境で土壌の酸化還元状態が変化すると鉛やカドミウムの存在形態が変わり、土壌からイネへ、さらに食用となる部分へと移動する経路に影響しうると説明されています。コメが世界の多くの人々の主食であることを踏まえ、研究チームは土壌と米粒の両方を合わせて評価することの重要性を指摘しています。
ただし、環境試料に含まれる金属はごく低濃度であることが多く、装置で直接測るには感度が足りない場合があります。また試料そのものが複雑な成分の混じり合い(マトリックス)であるため、測定を妨げる影響も生じます。そこで分析の前に、目的の金属だけを取り出して濃縮する工程が必要になります。本研究の目的は、この前処理に使う新しい吸着材を設計し、コメと水田土壌中の鉛とカドミウムを同時に測る手順として組み立てることでした。
計算で候補を選び、実験で確かめる
研究チームはまず、これまで文献に報告されていない三種類のアントラキノン系化合物(誘導体1、誘導体2、誘導体3)を新たに合成しました。アントラキノンは、酸素を含む官能基(カルボニル基や水酸基)を持ち、金属イオンと結びつきやすい骨格として知られる化合物群です。三つの誘導体は同じ骨格を共有しますが、水酸基が付く位置が異なります。
どれが最も金属と結びつきやすいかを見極めるために、著者らは密度汎関数理論(DFT)と呼ばれる量子化学計算を用いました。これは分子内の電子の分布や反応しやすさをコンピュータ上で推定する手法です。計算では、電子を出しやすい軌道(HOMO)と受け取りやすい軌道(LUMO)のエネルギー差などが比較されました。報告によれば、このエネルギー差は誘導体2が2.1284 eVと三つの中で最も小さく、誘導体3が2.2296 eV、誘導体1が2.5662 eVでした。差が小さいほど電子が動きやすく、金属との相互作用が起こりやすいと解釈されています。分子表面の静電的な性質を可視化した解析でも、誘導体2は酸素原子の周辺に負の電位が連続的に広がり、金属が配位しやすい環境を備えていると報告されています。
この計算結果に基づいて誘導体2が選ばれ、シリカゲルの表面に担持されて吸着材が作られました。著者らは、化学結合を作るための試薬を使っていないことから、この担持は共有結合ではなく、シリカ表面の水酸基と配位子の酸素を含む官能基との水素結合などによる非共有結合的なものと考えています。赤外分光では、シリカ由来の吸収帯と配位子由来のカルボニルの吸収帯が同時に見られ、担持が成功したことが示されました。元素分析からは、炭素量と窒素量それぞれから独立に算出した担持量が0.765と0.773 mmol/gとよく一致し、およそ0.77 mmol/gと見積もられています。
なお著者らは、計算で誘導体2が有利と示されたあとも、三種類すべての吸着材を同じ条件で実験的に比較しています。その結果、誘導体2を担持したものが最も優れた抽出性能を示し、以降の検討に用いられました。
抽出手順と条件の最適化
抽出には、超音波支援分散型マイクロ固相抽出(UA-DMSPE)という手法が用いられました。少量の吸着材を試料溶液中に分散させ、超音波をかけて吸着材と金属イオンの接触を促し、短時間で濃縮する方法です。論文では、この手法が吸着材の使用量が少なく、抽出時間が短く、環境負荷の小さい点で従来法より利点があると位置づけられています。吸着させた金属は硝酸で溶かし出し、比較的安価で扱いやすいフレーム原子吸光分析(FAAS)で定量されました。感度の面で不利なFAASを、前処理による濃縮で補う組み合わせです。
抽出条件を決めるにあたって、著者らは一つずつ条件を変える従来のやり方だけでは条件同士の相互作用を捉えきれないと考え、中心複合計画(CCD)と応答曲面法を用いた多変量最適化を行いました。これは、実験回数を抑えながら複数の条件の組み合わせを同時に評価する統計的な設計手法です。報告された最適条件は、pH 6.0、吸着材30 mg、抽出時間20分、試料量10.0 mL、溶出には0.5 mol/Lの硝酸1.0 mLというものでした。論文によれば、検証実験では予測値と実測値がよく一致し、モデルの当てはまりの悪さを示す指標も有意ではなかったことから、手法の統計的な信頼性が確認されたとされています。
この最適化した手順は、前処理したコメと水田土壌の試料にそのまま適用されました。すべての実験は三回繰り返し、空試験や既知量を添加した試料と併せて正確さが評価されています。また著者らは、環境負荷の観点からも、Analytical Eco-Scale、GAPI、AGREEといった現行の「グリーン分析化学」の評価指標を用いて手法を点検し、試薬使用量と廃棄物が少ない点で環境面に配慮した手法であると報告しています。
この研究が示すこと
この研究の特徴は、吸着材の候補を手当たり次第に試すのではなく、量子化学計算によって電子的な性質から有望なものを絞り込み、その予測を実験で確かめるという順序をとった点にあります。著者らは、計算による予測と実験で得られた回収率がよく対応していたことを、誘導体2が配位子として適していることの裏づけとしています。
分析化学の分野では、DFTによる配位子選択、アントラキノン系の機能性吸着材、UA-DMSPE、多変量最適化、そして環境負荷評価を一つにまとめ、コメと水田土壌中の鉛とカドミウムを同時に扱った例は非常に限られていると論文は述べています。土壌から米粒へという、人が有害金属にさらされる重要な経路を、土壌と食品の両方の側から測る手立てを整えたことに、この報告の意味があります。
著者:Mumcu T(Department of Chemistry, Faculty of Sciences, Dokuz Eylul University, Merkez Campus, 35160 Buca-Izmir, Turkey.)、Öncüoğlu S(Department of Chemistry, Faculty of Sciences, Dokuz Eylul University, Merkez Campus, 35160 Buca-Izmir, Turkey.)、Mumcu A(Inonu University, Scientific and Technological Research Center, Laboratory of NMR, Malatya 44280, Turkey.)、Yılmaz Ü(Malatya Turgut Özal University, Faculty of Engineering and Natural Sciences, Department of Engineering Basic Sciences, Malatya 44900, Turkey.)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Mumcu T, Öncüoğlu S, Mumcu A, et al. CCD-Optimized UA-DMSPE Combined with DFT Assisted Selection of a Novel Anthraquinone-Based Sorbent for Pb(II) and Cd(II) Determination in Rice and Paddy Soil. ACS omega 2026-08-26. DOI: 10.1021/acsomega.6c05694. 原著ライセンス:CC BY.