この研究は、中国、ドイツの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Humanities and Social Sciences Communications
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的と背景
インターネット通販(電子商取引、eコマース)は世界各地で急速に広がり、人々の買い物のしかたを変えてきました。とりわけ発展途上国では、インターネット利用の普及とデジタル決済の広がりが、その拡大を後押ししています。著者らによれば、世界の電子商取引市場は2019年以降、年15%の成長を続け、2024年にはおよそ5.1兆ドルに達したと推計されています。
こうした変化が食べ物の買い方や食生活に与える影響については、これまで別々の観点から研究が積み重ねられてきました。一方では、電子商取引が野菜や果物などの購入を促し、食事の多様性や質を高めるという報告があります。他方で、環境面については評価が分かれており、需要予測の精度向上によって食品ロスを減らしたり、供給網の最適化で二酸化炭素排出を抑えたりする可能性が指摘される一方、配送が増えることでエネルギー使用や輸送に伴う排出が増えるという指摘もあります。著者らは、こうした研究が栄養面と環境面を切り離して扱ってきたため、電子商取引が食の持続可能性全体にとって望ましいかどうかは不明のままだと述べています。
そこで本研究は、両者をあわせて評価する「食料消費における栄養と環境の相乗性(シナジー)」という考え方を用います。これは、ある食生活のパターンが、栄養面の成果を改善しつつ、環境への負荷を避けたり減らしたりできている度合いを指す概念です。著者らは、中国都市部を対象に、電子商取引の発展がこの相乗性に因果的な影響を与えるかどうか、またどのような経路を通じて影響するのかを検証することを目的としています。
何をどう調べたか
著者らが手がかりとしたのは、中国政府が2009年に開始した「国家電子商取引モデル都市政策」(NEDCP)です。この政策は、電子商取引の発展を初めて国家的な戦略課題として位置づけたもので、まず深圳が最初のモデル都市に指定され、その後2011年、2014年、2017年の三度にわたって対象が広がり、最終的に137都市が指定されました。政策の内容は、電子商取引企業への税制優遇、通信網や物流網、オンライン取引基盤といったインフラへの投資、企業の電子商取引導入の促進などを組み合わせたものです。指定は地方政府の申請と国の関係機関による専門家評価にもとづいて行われました。
この政策が段階的に導入されたことは、都市によって開始時期がずれる「準自然実験」の状況をつくり出します。著者らはこの性質を利用し、差の差分析(DID)という手法を用いました。これは、政策の対象となった都市と、まだ対象になっていない都市を比べ、政策の前後での変化の差をとることで、政策そのものの効果を取り出そうとする方法です。著者らは、指定が世帯や個人ではなく上位の行政機関による審査で決まったこと、政策が家庭の消費行動そのものではなく電子商取引の能力やインフラを対象としていること、指定都市が地域・規模・発展段階の面で多様であることを挙げ、この設計が妥当だと説明しています。
データには、中国国家統計局が実施する都市世帯調査(UHS)を用いています。この調査は家計簿方式で、年間の食料消費量を品目ごとに詳しく記録している点が特徴です。分析対象は、食料消費に関する変数が一貫して利用できる2005年から2014年までの期間で、191の市・県にわたる78,218世帯が最終的な標本となりました。
相乗性の指標は、He et al.(2024)の枠組みにもとづき、世帯の食事から得られる栄養上の便益を、その食事に伴う環境負荷で割った「効率」として構成されています。環境負荷としては温室効果ガス排出、水資源の消費、土地の占有の三つを扱い、これらをまとめた総合的な環境効率も算出しています。指標の値が高いほど、環境負荷1単位あたりに得られる栄養上の便益が大きい、つまり栄養と環境の両立が進んでいることを意味します。栄養面については、実際の摂取量を『中国居民膳食指南(2022)』の推奨量と比べ、そのずれの大きさを測る「食事の質の乖離指数(DQD)」が用いられています。
報告された主な結果
著者らの分析によれば、国家電子商取引モデル都市政策は、中国都市部の世帯において食料消費の栄養-環境相乗性を有意に高めていました。つまり、電子商取引の発展が進んだ都市では、栄養面と環境面の成果がともに改善する方向へ動いたと報告されています。
この効果の大きさは世帯によって異なっていました。論文が報告するところでは、効果はとりわけ低所得世帯、および世帯主が女性である世帯、高齢である世帯、教育水準の高い世帯で顕著でした。著者らは、その背景として、低所得世帯ほど食費の制約が厳しく価格の透明化や選択肢の拡大の恩恵を受けやすいこと、高齢の世帯主は対面の買い物での移動や探索の負担が大きいこと、教育水準の高い世帯主は商品説明や栄養情報を読み比べて活用しやすいことなどを想定として示しています。
どのような経路でこの改善が生じたのかについて、著者らは二つの仕組みを検証しました。一つは所得です。政策は世帯の可処分所得を押し上げており、これが食生活の改善につながったと報告されています。もう一つは食料消費の構成です。政策の実施後、世帯の食料消費全体に占める植物性食品の割合が高まり、動物性食品の割合が低下していました。動物性食品は一般に植物性食品より資源集約的であるため、この構成の変化が環境負荷の面での改善に寄与したと著者らは説明しています。
この研究が示すこと
この研究は、電子商取引を単なる買い物の利便性の問題としてではなく、食生活の持続可能性を左右する制度的な条件のひとつとして位置づけた点に特徴があります。著者らは、栄養面と環境面を切り離さずに一つの指標で扱うことで、電子商取引の発展がどちらか一方の犠牲の上に成り立つのではなく、両立の方向に働きうることを示したと述べています。
また、その効果が所得の増加と、動物性から植物性への食品構成の移行という具体的な経路を通じて現れていたという報告は、デジタル市場の発展がなぜ食生活に影響するのかを説明するものです。著者らは、こうした知見が中国都市部にとどまらず、同様にデジタル化と食生活の変化が進む他の新興経済国にとっても示唆をもつと位置づけ、政策立案者に対して、家計の所得を高め植物性中心の食生活への移行を促す手立てとして電子商取引の推進を続けることを提言しています。
著者:Jieyu Yang(College of Economics and Management, Northwest A&F University, Shaanxi, China)、Y C Wang(College of Economics and Management, Northwest A&F University, Shaanxi, China)、Yanjun Ren(College of Economics and Management, Northwest A&F University, Shaanxi, China)、Qiran Zhao(College of Economics and Management, China Agricultural University, Beijing, China)、Zhanli Sun(Leibniz Institute of Agricultural Development in Transition Economies, Halle, Germany)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Jieyu Yang, Y C Wang, Yanjun Ren, et al. Can E-commerce development improve the nutrition-environment synergy of food consumption? Evidence from a quasi-natural experiment in China. Humanities and Social Sciences Communications 2026-08-31. DOI: 10.1057/s41599-026-08798-1. 原著ライセンス:CC BY.