肥満は体形や代謝の問題にとどまらず、学習や記憶といった認知機能の低下にも関わることが知られています。中国・西北農林科技大学などの研究グループが、アドバンスト・サイエンス誌に2026年7月掲載予定の論文で、発芽させたキノア(キヌア)を食べさせたマウスで、高脂肪食による認知機能の低下が和らいだと報告しました。研究チームは西北農林科技大学のほか、青海大学(青海チベット高原の遺伝資源研究を行う機関)、空軍軍医大学西京病院の研究者らで構成されています。全粒穀物にはポリフェノールや食物繊維が豊富に含まれ、その摂取は肥満や認知機能低下の改善と関連づけられてきましたが、腸内細菌がどの成分をどう変換して脳に影響を及ぼすのかは、まだよくわかっていない部分が多いとされています。
どのような実験が行われたか
研究チームはまず、高脂肪食を与えたマウスに、発芽キノア(GQF)または未発芽のキノア(QF)を低用量・高用量で混ぜて摂取させ、体重や行動を観察しました。学習・記憶能力を調べるため、オープンフィールド試験(自発的な活動量を見る)、Y字迷路試験(作業記憶)、新奇物体認識試験(短期記憶)、バーンズ迷路試験(空間学習・記憶)という複数の行動テストが用いられています。その結果、高用量の発芽キノア(HGQF)を与えられたマウスは、体重増加や脂肪蓄積が抑えられただけでなく、これらの記憶・学習テストの成績も、対照群に近い水準まで改善しました。効果の大きさは高用量発芽キノア>低用量発芽キノア>高用量未発芽キノアの順だったとされています。海馬(記憶に関わる脳部位)の神経細胞を調べると、高用量発芽キノア群では神経の成長に関わるBDNF(脳由来神経栄養因子)やシナプスの機能に関わるPSD‐95、SYPといったタンパク質の発現が増え、樹状突起の枝分かれや突起(スパイン)の密度も高まっていました。
次に研究チームは、腸内細菌そのものの役割を確かめるため、糞便微生物移植(FMT)という手法を用いました。マウスの腸内細菌をいったん除去したうえで、「発芽キノアを食べさせつつ、発芽キノア群由来の腸内細菌を移植したマウス」と「発芽キノアなしで同じ腸内細菌だけを移植したマウス」を比較したところ、腸内細菌の移植だけでは効果は部分的にとどまり、発芽キノア(=原料となる成分)と腸内細菌の両方がそろって初めて、記憶力低下の改善効果が十分に現れることが確認されました。研究チームはこれを「微生物と食事成分が共に依存し合う」パターンと表現しています。
成分を詳しく調べる代謝物解析では、発芽によってキノア中のフェノール化合物が大きく増えており、なかでもフェルラ酸の増加が目立ちました。定量分析では、発芽キノア中のフェルラ酸含量は1グラムあたり約1299マイクログラムに達し、未発芽のキノアと比べて2.29倍に増加していました。ただしこのフェルラ酸の大部分は、細胞壁の多糖類(セルロースやヘミセルロースなど)に結合した「結合型」で存在しており、そのままでは吸収されにくい形だとされています。
腸内細菌のメタゲノム解析(遺伝子レベルでの網羅解析)を行ったところ、発芽キノアを摂取したマウスの腸内では、結合したフェルラ酸を切り離す酵素フェルロイルエステラーゼ(FAE)をつくる遺伝子が、RoseburiaとDoreaという2つの細菌の仲間に偏って存在していることがわかりました。特にRoseburia hominisとRoseburia intestinalisという2種の細菌が、発芽キノア摂取マウスの腸内で増えており、実際にこれらの菌を使った実験室内での発酵試験でも、発芽キノアからフェルラ酸が遊離してくることが確認されています。一方で、フェルラ酸を単独のエネルギー源として与えても、これらの菌自体は増殖せず、フェルラ酸をさらに分解して利用することもなかったとされ、菌はあくまで「切り出す」役割にとどまっていたようです。抗生物質で腸内細菌を除去したマウスにRoseburia hominisだけを定着させる実験でも、この菌がいる場合に限って、脳を含む複数の組織でフェルラ酸濃度の上昇が確認されました。
さらに、腸内で遊離したフェルラ酸そのものを高脂肪食マウスに10週間、1日あたり10ミリグラム/キログラムまたは40ミリグラム/キログラムの用量で直接投与する実験も行われました。高用量のフェルラ酸投与は、肥満の指標を改善しただけでなく、発芽キノア摂取時とよく似た形で学習・記憶テストの成績や海馬のシナプス構造を改善したとされています。海馬の遺伝子発現を網羅的に調べる解析(トランスクリプトーム解析)でも、発芽キノアおよびフェルラ酸の投与によって、シナプスの情報伝達や神経の可塑性に関わる遺伝子群の発現が回復する様子が確認されました。論文のタイトルにあるとおり、この過程にはミトコンドリアの品質管理に関わるPINK1/Parkin経路を介した「マイトファジー(不要になったミトコンドリアを分解する仕組み)」の活性化が関与していると報告されています。
この研究をどう読むか
この研究は、発芽キノアという特定の食品と、それを分解できる特定の腸内細菌(Roseburia属の2菌種)、そして両者の相互作用によって生じるフェルラ酸という成分の3つがそろって初めて、肥満に伴う記憶力低下の緩和という効果につながる可能性を示したものです。裏を返せば、発芽キノアを食べても、それを分解できる腸内細菌を持たない場合には、同じ効果が得られるとは限らないことも示唆されており、効果には個人の腸内細菌の状態が影響しうると考えられます。
この研究はマウスを用いた動物実験であり、ヒトでの効果を直接示したものではありません。あくまで一つの研究であり、発芽キノアの摂取が人の認知機能に同様の効果をもたらすと結論づけるものではない点に注意が必要です。
まとめ
発芽させたキノアには未発芽のキノアよりも多くのフェルラ酸が含まれており、腸内のRoseburia属菌がこれを分解して遊離させることで、脳の海馬におけるミトコンドリアの品質管理やシナプスの機能に働きかける可能性が、マウスを用いた実験から示されました。食品そのものだけでなく、それを利用する腸内細菌との組み合わせが重要であることを示す知見といえますが、ヒトでの効果はまだ確認されておらず、今後の研究の積み重ねが必要とされています。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Lan Y, Zhang W, Wang L, et al. Gut Microbial Release of Ferulic Acid From Germinated Quinoa Alleviates Obesity-Associated Cognitive Impairment by Activating Hippocampal Mitophagy Associated with PINK1/Parkin Pathway. アドバンスト・サイエンス (2026). DOI: 10.1002/advs.76686. 原著ライセンス: cc-by.