味噌、醤油、日本酒、みりん。日本の食卓に欠かせないこれらの発酵食品を支えているのが、麹菌として知られる糸状菌「Aspergillus oryzae(アスペルギルス・オリゼー)」です。アストラハン国立技術大学(ロシア)の研究者らが、この菌の生物学的な特徴と食品バイオテクノロジーへの応用について、これまでの研究をまとめた総説を発表しました。世界の人口増加にともない、環境負荷の少ない新しい食料源の探索が求められるなか、糸状菌の発酵利用は有望な戦略の一つとして位置づけられています。

麹菌とはどんな微生物か

A. oryzaeはアオカビの仲間であるAspergillus属に分類される多細胞の糸状菌で、1859年に初めて記載されました。日本では2000年以上前から、蒸した米や麦にこの菌を植え付けて「麹(こうじ)」を作る技術が用いられてきたとされています。総説によれば、麹菌の胞子が蒸米などの基質に付着すると、根のように見える糸状の菌糸(ハイフ)が伸び始め、2日ほどで白くびっしりとした層をつくります。発酵開始から24時間ほどでパッションフルーツやアンズを思わせる香りが立ちはじめ、48時間後にはフルーティーで甘みとうま味を帯びた風味に変化すると記述されています。生育に適した温度は32〜36℃前後、44℃を超えると生育が止まり、最も生育に適したpHは5.0〜6.0とされる一方、発芽自体はpH2.0〜8.0という幅広い範囲で可能だと報告されています。

A. oryzaeが注目される大きな理由の一つが、近縁種A. flavusとは異なり発がん性物質として知られるアフラトキシンを作らない点です。総説では、A. oryzaeやA. sojae(醤油醸造に使われる近縁種)のゲノムには本来アフラトキシン合成に関わる遺伝子クラスター(A. sojaeでは約7万塩基対規模)が存在するものの、ナンセンス変異によってC末端側のアミノ酸61個ほどが欠落し転写活性化ドメインが働かなくなっていることや、ポリケチド合成酵素をコードするpksA遺伝子に早期の終止コドンが生じていることなど、複数の独立した仕組みによって毒素合成が機能停止していると説明されています。日本の伝統的な味噌づくりに使われる麹の分離株を調べた研究では、94株のうち92株がA. oryzae、2株がA. sojaeであったことも紹介されています。

酵素生産と発酵食品づくりへの応用

A. oryzaeが発酵産業で重宝される最大の理由は、旺盛な分泌能力によって多様な酵素を作り出す点にあります。総説ではプロテアーゼ(たんぱく質分解酵素)、アミラーゼ(デンプン分解酵素)、リパーゼ(脂質分解酵素)、セルラーゼやペクチナーゼ(植物細胞壁の多糖分解酵素)、乳糖を分解するβ-ガラクトシダーゼなどが取り上げられています。例えば小麦ふすまを使った培養で得られたプロテアーゼは大豆たんぱくや卵白たんぱくの分解に使われ抗酸化性を高めたこと、グルテンに含まれるプロリンを含むたんぱく質を分解するプロリルエンドペプチダーゼがセリアック病の経口療法として検討されていることなどが紹介されています。米や大麦、小麦ふすまのほか、テンサイの搾りかすやヒマワリの搾りかす、大豆の残渣、藁やトウモロコシの穂軸といった農業残渣でも酵素生産が確認されたとされ、廃棄物の有効利用という観点からも関心が寄せられています。

発酵食品ごとに求められる麹菌の性質は異なると総説は指摘しています。日本酒づくりに使う麹は米デンプンを効率よく分解する高いアミラーゼ活性に加え、清酒の透明感を保つため色素形成や胞子形成が少ない株が好まれるとされます。醤油づくりでは大豆たんぱくを遊離アミノ酸まで分解する高いプロテアーゼ活性を持つ株が選ばれ、味噌づくりではアミラーゼとプロテアーゼの活性がバランスよく働く株が使われると記されています。ある研究では、麹のアミラーゼ活性がビール酵母よりも8%、プロテアーゼ活性は約20%上回っていたと報告されています。ただし味噌の最終的な品質は麹の性質だけで決まるのではなく、大豆の処理条件や配合、発酵条件の管理、共存する乳酸菌や酵母といった微生物叢の働きも影響すると総説は補足しています。

培養方法については、水分の少ない固体(米や麦などの穀物)の上で育てる固体培養(コウジ製造や味噌・醤油づくりに用いられる伝統的な方法)と、5〜100立方メートル規模のバイオリアクターで温度30〜33℃、pH5.5〜6.0、溶存酸素30%以上、撹拌速度毎分300〜500回転といった条件を管理しながら液中で培養する深部培養(酵素の工業生産向け)の2種類が解説されています。酸素供給が不十分だと菌糸が密な粒状(ペレット)になり基質の拡散が妨げられて生産性が下がる一方、通気が過剰だと菌糸が断片化し培地の粘度が上がるなど、培養条件の調整が酵素分泌の安定性を左右するとされています。

ゲノム解析の分野では、2005年に日本の研究者らによってA. oryzae RIB40株の全ゲノムが解読され、約3700万塩基対、8本の染色体、1万2074個の推定遺伝子が明らかにされたことが紹介されています。この菌のゲノムは近縁のA. fumigatusやA. nidulansより700万〜900万塩基対大きく、この差の多くが二次代謝や培養環境への適応に関わる遺伝子クラスターだとされています。また82の産業用株を対象にした全ゲノム解析では、有性生殖を介さないゲノム内での組換えや変異の蓄積によって麹菌の家畜化(人為選抜による適応)が進んだと考えられると報告されています。もっとも、NCBIデータベースに登録された約10株のゲノムのうち、1万を超える推定遺伝子中、実験的に機能が確認されたのはおよそ200個(1.7%)にとどまるとも記されており、機能未解明の遺伝子が多く残されている点が課題として挙げられています。

今後の展開と研究の位置づけ

総説では、CRISPR/Cas9やTALENなどのゲノム編集技術、アグロバクテリウムを介した形質転換によって、A. oryzaeを異種たんぱく質や新規代謝経路の生産プラットフォーム(シャーシ生物)として利用する合成生物学的アプローチも紹介されています。ポリケチドやテルペノイドといった希少な天然物質、抗腫瘍・抗菌・抗酸化作用が期待される化合物の生産株開発、農業・食品廃棄物の分解によるサーキュラーエコノミーへの活用、微生物たんぱく質(ミコプロテイン)や植物性代替肉の風味・食感改良への応用など、今後の研究の方向性が幅広く述べられています。

この記事は特定の学術誌に掲載された一つの総説(レビュー)論文に基づくものであり、個別の実験データを新たに報告したものではなく、既存の研究知見を整理・体系化したものです。特定の酵素や発酵食品の健康効果を証明するものではない点にも留意が必要です。

※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:K. A. Kovalev, Н.В. Неповинных. Application of the mycelial fungus Aspergillus oryzae in food biotechnology. フードシステムズ (2026). DOI: 10.21323/2618-9771-2026-9-2-247-253. 原著ライセンス: cc-by.